1.東南アジア諸国の民族構成 インドネシアも多くがマレー系であり、フィリピンと同様図の民族構成はさらにマレー系を細分した側面が大きい。ジャワ人が40.6%で最も多く、スンダ人15%、マドゥラ人3.3%がこれに次ぐ。 マレーシアはマレー人、中国人、インド人という3つの民族の混合国家といわれるが、マレー系が、マレー人50%、先住民を含めると6割以上となっている。インドネシアやフィリピンのようにマレー系は細分されていない。中国人は23.7%と約4分の1、インド人は7.1%である。 マレーシアから独立したシンガポールは中国人が76.8%と4分の3以上を占める。その他では、マレーシアと同様、マレー人とインド人が多い。 マレーシア、シンガポールの中国系住民には、英国植民地時代にスズ鉱山労働者・クーリーなどとして中国南部から連れて来られた賃金労働者の子孫が多いが、華僑として知られる商業者や政治難民出身者も少なくない。スズ鉱山の労働者に中国系が多かったのはスズ鉱山開発では華僑資本が欧州資本に先行したからだと言われる。インド系住民は、多くが、南インド出身者 (タミール人) であり、中国系労働者の導入を嫌った欧州系中心のゴム栽培プランテーションに投入されたエステート労働者の子孫である(注)。商業都市国家として独立したシンガポールでは中国系住民が支配的であるが、インド系住民の割合は、マレーシアとシンガポールではともに1割弱と余り変わらない。 (注)「マレー半島では、1921年にゴムが栽培面積の6割以上を占め、ゴム生産の4分の3をヨーロッパ系のプランテーションが占めたが、その労働者の78%をインド人が占めた。彼らはプランテーションが任命するカンガーニという移民仲介人によって徴集募集され、過酷な条件の下で働いたが、インドの民族運動の高揚のなかで抗議が高まり、1938年に廃止された。1898〜1938年の間のカンガーニ制度による移民労働者は115.4万人であったという」(北原淳「東南アジア経済発展の歴史−小農社会の形成と崩壊−」(北原淳・西澤信善編『アジア経済論 (現代世界経済叢書)』ミネルヴァ書房、2004年))。
シンガポールでは1960年代に続発した人種暴動の反省に立って民族宥和政策を保持している。「移民政策も民族のバランスを維持するように管理されている。中国人はインド人やマレー人より子どもが少ないため、これが北京語を話す中国本土からの移民流入にむすびついているが、シンガポール生まれの中国人にとっては癪の種である。というのもシンガポール生まれの旧世代中国人の共通方言は客家語だからである」(The Economist July 18th 2015, Special Report: Shingapre)。 マレー系の国以外では、タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーでは、それぞれ、タイ人、ベトナム(越)人、クメール人、ラオ人、ビルマ人が過半数から9割程度を占めている。 東南アジア各地に中国人、中国系、華僑がおり、図の民族構成にも多くの国で顔を出している。経済界や商業などで果たしている役割は人口比率より大きい。特に、マレーシア、シンガポール、タイでは中国人比率が大きく、商業都市国家としてマレーシアから分離したシンガポールは中国人の国といってよい。中国人が計上されていないインドネシア、フィリピンでもかなりの中国系住民が存在している(Wikipediaによるとインドネシアの中国人は5%。各国の華僑人口は図録8590参照)。 2.東南アジア諸民族の解説
3.東南アジアの民族形成 ここで各民族についての理解を深めるため、東南アジアの民族形成の歴史のアウトラインにふれておくこととする。
東南アジアの民族分布は、大きく、オーストロネシア語族、オーストロアジア語族、シナ・チベット語族の3つの語族から構成され、後2者が東南アジア地域に南下して現在の民族分布に至っていると考えられている。 古代DNAを含めた遺伝子分析による最新研究によるとオーストロネシア語族は台湾の北方大陸地域に淵源し、オーストロアジア語族は中国南部、シナ・チベット語族は黄河流域に源を発すると考えられている(篠田謙一「人類の起源」中公新書、2022年)。 (1)オーストロネシア語族 マレー半島のマレー人、インドネシア、フィリピンの諸民族は、東南アジア古代人の生き残りともいわれるネグリト(小さな黒人の意味。タイ南部・半島マレーシアのセマン族、フィリピン群島のアエタ族など)の少人数集団を除くと、オーストロネシア語族(別名、マレー・ポリネシア語族)に分類される。この語族は、東南アジアの他、西はマダガスカル島、東は太平洋諸島、北は台湾の高山族(高砂族)と広範囲に海洋性の分布を有している。 東はイースター島から西はマダガスカル島にまで及ぶオーストロネシア語族のこうした分布は、他の民族分布同様、「移動説」と「残存説」の2通りの説明が可能である。 すなわち、移動説は、そうした分布はいずれかの中心からオーストロネシア語族が帯状に移動していった結果形成されたとする説明である。発祥地の想定としては、オーストロネシア語の系譜上台湾諸語が最も早く分岐したとされることから、中国南部や台湾におく考え方がある(大林太良「アウストロネシア語系諸族」平凡社大百科事典)。 また残存説は、以前は全域に分布していたが、北方民族の南下(の玉突き現象)により、アジア大陸を取り巻く帯状に、南下の影響を免れたオーストロネシア語族が残ったとする説明である。この考え方によれば、帯状の分布の中にある各民族の系譜は余り意味がないということになる。 この2つの説は両立が可能であり、実際、両方を組み合わせた説明が行われることが多い。例えば、鈴木秀夫「気候の変化が言葉をかえた―言語年代学によるアプローチ 」NHKブックス(1990年)では、「火」「弓」をあらわす言葉の共通性から、台湾からフィリピン、インドネシアにかけてのアジア周辺島しょ部に加え、大陸沿岸の中国少数民族トン族居住地域、かつてチャンパ国の存在した南ベトナム、またマレー半島を、気候の寒冷化(5000年前及び3500年前がメルクマール)にともなう北方民族の南下によって押し出された、またそれから免れたオーストロネシア語族の分布地域ととらえている。 (2)オーストロアジア語族 オーストロアジア語族には、ベトナム人、カンボジアの主要民族であるクメール人、タイ・ミャンマーなどに散在するモン人などが含まれる。クメール人とモン人は一括してモン・クメール語族と呼ばれることが多い。 オーストロアジア語族は、シナ・チベット語族が中国方面から南下する以前は、東南アジア半島部の主要民族であった。またインド方面においてもドラヴィダ人やアーリア人が制覇する以前は重要な民族であった(図録8245参照)。 東南アジアにおける食文化と民族史の関わり、および魚醤系うま味を開発したのがオーストロアジア系だったとする説については図録0214参照。 (3)シナ・チベット語族 歴史時代の東南アジア史においては、オーストロアジア語族に属するベトナム人が中国文化の影響を受けてベトナム南部を含め王権を確立し、同語族のクメール王朝がタイ・カンボジア地域に覇権を樹立するとともに、シナ・チベット語族に属するタイ人(シナ・タイ語族に下位分類される)、ビルマ人(チベット・ビルマ語族に下位分類される)が中国国境地帯から南下し東南アジア平地部に移住、政権樹立を行った。 こうした歴史を食文化の成立とからめて説明した叙述を以下に要約する。 (4)食文化から見た東南アジア民族史 東アジアから東南アジアにかけての地域は、醤油、魚醤、出汁などうま味成分を含んだ調味料を使用する点に特徴があり、世界の中で他地域にはない「うま味文化圏」が形成されている。石毛直道、ケネス・ラドル「魚醤とナレズシの研究―モンスーン・アジアの食事文化」(1990)は、魚醤やナレズシなど魚介類の発酵食品が、東アジアから東南アジアの島しょ部にまで広がっており、同地域の味噌・醤油といった大豆の発酵食品とともに、こうした「うま味文化圏」の成立根拠になっていることを明らかにしている。 この地域の中でも魚介類の発酵食品の種類が多く、食生活における重要性が高いのは、海面漁業への依存度がより高い東南アジアの島しょ部ではなく、むしろ淡水魚に特徴がある東南アジア大陸部である。 このことから、魚介類発酵食品の歴史的な成立過程を探るため、東南アジア大陸部の現在の民族分布に至る民族史を以下のように要領よく概説している。 「現在のベトナムの国土の北部には、新石器時代以来オーストロアジア系の言語を話すベトナム人(キン族)が居住していたものとかんがえられる。国土の南半はオーストロネシア系の言語に属するチャム族の土地であり、二世紀末には海上交易活動がさかんなチャンパ王国が建国された。南下するベトナム人(キン族)とのながい歴史的抗争のすえに、チャンパ王国が滅亡するのが十七世紀末のことである。 ベトナムの東側では、二世紀の扶南建国以来、オーストロアジア系の言語に属するクメール族が、現在のカンボジアのみならずタイのおおくの地域を版図としていたし、おなじくオーストロアジア系のモン族もタイに進出していた。雲南方面から南下するシナ=チベット語族のタイ・ラオ系諸族が、北タイのモン族の国を滅ぼすのが八世紀のことであり、十三世紀になると、中部タイがクメールの支配を脱して、タイ人の王国であるスコタイが建国される。 チベット高原東部から南下するシナ=チベット語族のビルマ系諸族が、それまでモン族の土地であったパガンに王朝を建てたのが十一世紀である。 したがって、タイ・ラオ系諸族とビルマ系諸族の南下以前の主要な民族分布は、アンナン山脈の東側はベトナム人とチャム族によって、西側はクメール族とモン族によって占められていたと考えてよい。」 そして、タイ系諸族やビルマ系諸族の出身地域では、漁業を行わない生活様式を伝統としている点、また発酵による魚類保存の発達が東南アジア大陸部の水田農業、あるいはアジアモンスーンの乾期・雨期交替にともなって河川本流と氾濫原との間を往復する魚類の生態と大きく関連している点から、次のように結論に達している。「東南アジア大陸部における発酵魚の文化のにない手は、インドシナ半島の先住民であるベトナム人・チャム族・クメール族・モン族のいずれかであり、タイ・ラオ系諸族とビルマ系諸族の侵入以前から、これらの食品がインドシナ半島で発達していたであろうという結論となる。」 そして、「東南アジアの基層文化を構成する文化要素のおおくは、大陸部から島嶼部へと伝播をとげたものであり、その逆はきわめてすくない。魚介類の発酵食品の伝播も、大陸部から出発して島嶼部にむかったものであろう。」とまとめている。
(2009年3月2日収録、7月3日インドの民族事情を図録8245へ移動、2011年10月24日マレーシア・シンガポールの民族構成の由縁コメント追加、2013年5月29日ミャンマーの民族地図・ラカイン人解説を追加、30日コラム追加、10月31日コラム引用記事追加、2015年7月27日The Economist:シンガポール事情追加、2015年10月30日インド人の(注)、11月9日ミャンマー民族地図更新、2016年7月13日【コラム】シャン人(族)とシャン州(ミャンマー)、2020年9月8日インドネシア更新、2023年2月20日篠田謙一「人類の起源」マップ、2024年7月26日東南アジアの主な民族集団マップ)
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