こうした内陸部の県民のすし好きは、魚を海側から運べる限界点をあらわす魚尻線から理解することができる。 魚尻線は、流通網が発達していなかった時代に夏でも生魚を持ち込める限界地点までのルートを指す。図録には魚尻線の地域分布を描いたマップを掲げた。 これを表形式で整理すると以下である。
生魚の輸送ではやはりリスクが大きいので、上のようなルートであっても、水揚げした浜で日持ちするよう塩魚、煮貝、焼鯖などに加工して内陸に運んだ事例も多い。 塩魚は西日本で正月の魚として有り難がられた富山の塩ブリ事例が名高いが(図録7712参照)、浜塩をして熊野街道、紀ノ川経由で奈良に鯖を運び柿葉寿司に使った事例も知られる。山梨では古くから、握りずしに、しょうゆベースのたれを煮詰めた「ツメ」を付けるのが一般的だが、静岡から塩漬けして運んだマグロの塩分を調和するために甘いツメを塗ったとも言われる(図録7762)。 煮貝は甲府の煮アワビが甲斐の武田信玄も認めた味として知られる。これは駿河で獲れたアワビを醤油漬けにし、馬に乗せて甲斐まで運ぶうちに馬の体温で温められて着く頃にはちょうどよく醤油がアワビにしみ込んでできた逸品と伝わる。 焼鯖は、福井県の小浜から京都の大原をつなぐ越前鯖街道で運ばれたものが有名であり、京都名物の焼き鯖寿司などに使われた。 このように内陸部であっても、何とかして魚介類を消費したいという欲求は古くから強かったことが分かる。それでも内陸部、特に林業地帯などでは魚介類の消費量が少なくならざるを得なかった点については図録0290を参照されたい。この図録のコラムでは、どうしてもイカを味わいたくてスルメを戻して食するチェコや山形の事例を紹介している。 (2023年4月6日収録)
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