平均寿命(ゼロ歳時点の平均余命)は年齢別死亡データから作成される値であり、各地域の健康福祉水準を総合的にあらわす指標として重要である。

 ここでは、大都市圏を構成する東京都、愛知県、大阪府の戦前からの変遷についての図録を作成した。原データは厚生労働省の都道府県別生命表である。

 これら3都府県は戦前は、北陸地域を除くと、全国の中でも最も平均寿命の短い地域であった。

 江戸時代、江戸、大坂といった新たに誕生した巨大都市は、高い未婚率と衛生状態の悪さから人口のマイナス要因となっていた(都市蟻地獄説、図録1150参照)。人口が密集した都市では伝染病が一気に拡大しがちであり、上下水道の整備以前には、ごみ処理問題と合わせて不衛生が死亡率の高さをもたらしていたと考えられる。

 我が国においても、1920年代前半の段階では、大都市圏は、こうした状況にあったと考えられる(当時、感染性の肺炎や胃腸炎などが主な死因であった点については図録2080参照)。死亡率が大都市で高かった点は図からうかがえるし、大都市の出生率がひときわ低かった点は図録7258からも明らかである。

 従って、大正期の東京は地方圏からの大量の流入人口で首都機能を保持していたと考えられる。古くからの東京人がつくる東京が田舎人に犯され続ける当時の状況を作家永井荷風は以下のように嘆いている。

「年年桜花の時節に至れば街上田舎漢の隊をなして横行すること今にはじまりしにあらず。されど近年田舎漢の上京殊に夥しく、毫も都人を恐れず、傍若無人の振舞をなすものあり。日本人と黒奴とはその繁殖の甚しきこと鼠の如し。米国人の排日思想を抱くもまた宜(むべ)なりといふべき歟」(「断腸亭日乗」大正11(1922)年4月2日)。

 戦前から戦後にかけて、こうした点における大都市圏の改善は大いに進んだ。特に米軍占領下、東京に本部のあったGHQが強制的に導入した保健衛生施策の効果は著しかったと考えられる。江戸時代以来の大都市における宿命的な非衛生状態から脱し、大都市こそが最も衛生的な存在となったのである。衛生改善に加えて先進医療が大都市から広まっていた点もこれを加速したであろう。東京都は、戦前の最下位レベルとは打って変わって、1947年から高度成長期が終わる1975年まで平均寿命が基本的に男女とも一貫してトップであった。東京にやや遅れて大阪や名古屋を抱える愛知でも平均寿命の順位は上昇していった。

 高度成長期前後をさかいに大都市圏が首位である状況は変化し、普通の順位の地域となった。これは、大都市圏にいちはやく導入された保健衛生・医療の体制が全国的に広まっていったからと考えられる。もっとも大阪が近年平均寿命が最下位レベルとなった背景には、また別の要因が関与していると考えられる。

 この20〜25年は、順位の上昇傾向が認められる。特に東京の女性の平均寿命の順位の上昇が目立っている。この時期は、都心回帰(図録7680)の時期と重なっており、両者には何らかの関係があろう。

(2009年12月27日収録、2013年2月28日更新、2017年12月17日更新、2021年7月12日荷風引用、2022年12月24日更新)


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