1945年の敗戦時、国外にいた日本人は、軍人・軍属(軍人以外の軍所属者)、及び民間人がそれぞれ約330万人、合わせて660万人と当時の日本の人口の1割近くだったと見られている。敗戦で民族大移動ともいえる規模の「引き揚げ」がはじまった。祖国に戻れず亡くなった人も多く、厚生労働省のまとめによると、海外から引き揚げた軍人・軍属は310万人、民間の邦人は318万人、合わせて629万人である(終戦時海外日本軍の兵数は図録8050)。

 民間人の引き上げは集団引き揚げが主であるが、密航や個別に戻ってくる人もいた。邦人が現地人にお金を払って自力で調達した「闇船」を使った場合など、正規の引き揚げ手続きを経ていない者は厚生労働省のまとめの人数に含まれていない。

 帰還事業は、米国から約200隻の船舶の貸与を受けるなど米国の援助を得て急速に進み、1946年、敗戦の翌年までに500万人以上が戻ってきた。一方、ソ連に抑留されたり(図録8970参照)、中国内戦で留用されたり、帰還が遅れた者もいた。また、中国残留孤児の多くは国策として送り込まれた開拓団員の子ども達であり、海外引き揚げは今なお終わっていない問題である。

 帰還者の国・地域別内訳を見ると、軍人・軍属では、中国本土が104万人と最も多く、その他東南アジアが66万人、旧ソ連が45万人で続いている。民間人では開拓団が送り込まれた満州からの引き揚げが100万人で最も多く、中国の50万人、韓国の42万人、台湾の32万人と続いている。軍人・軍属は主たる戦地から、民間人は主たる開拓・植民地からの帰還が多く、両者の人数規模は地域によって食い違いが認められる。

 東京新聞大図録(2007.8.19)によると主な引き揚げ港としては、博多と佐世保が多かった。舞鶴は1950年以降唯一の引き揚げ港となったことから歌謡曲「岸壁の母」の舞台となる。こうした港では朝鮮、台湾など祖国へ帰還する在日外国人130万人の送り出し港としての役目も果たした。送り出し港としては博多が51万人、仙崎が34万人と多かった。

 引き揚げた軍人や民間人は皆が国内の元の住所に帰れたわけではない。食糧難の時代、引揚者の少なからぬ人数が農村部に入植した。国勢調査人口の推移を見ると下図のように5万人未満の市町村の人口が1945年11月の敗戦直後の国勢調査では疎開の影響で大都市からの人口流入により増加しているが、疎開が終了した1950年でも人口はむしろ増加している。これは引揚者の農村部への帰還・入植の影響である。私の経験では、農村調査に出掛け、戦後からの人口推移をたどればほとんどの農村でこの時期、村の人口が増加したという歴史にふれることが出来る。また村の端っこや山間地に満州開拓からの引揚者が集団で入植し酪農などを営み、尋常ならざる精神性をもって暮らしている事例に遭遇することも少なくなかった(敗戦前後の労働力移動については図録5242も参照)。


(原データ)
帰還者の国・地域別内訳(単位:人)
  軍人・軍属 民間 管轄連合軍
3,107,411 3,189,402  
旧ソ連 453,787 19,171 旧ソ連
満州 41,916 1,003,609 旧ソ連
大連 10,917 215,037 旧ソ連
千島・南樺太 16,006 277,540 旧ソ連
北朝鮮 25,391 297,194 旧ソ連
韓国 181,209 416,110 米国
中国 1,044,460 496,977 中国
台湾 157,388 322,156 中国
香港 14,285 5,062 英国
仏領インドシナ 28,710 3,593 英国・中国など
フィリピン 108,912 24,211 米国
蘭領インド 14,129 1,464 英国・オーストラリアなど
その他東南アジア 655,330 56,177 英国
オーストラリア 130,398 8,445 オーストラリア
ニュージーランド 391 406 オーストラリア
ハワイ 3,349 310 米国
沖縄 57,364 12,052 米国
本土隣接諸島 60,007 2,382 米国
太平洋諸島 103,462 27,506 米国
(注)2006年1月1日厚生労働省まとめ
(資料)東京新聞(大図解)2007.8.19

海外からの引き揚げ者数(地域別内訳)
  軍人・軍属 邦人 管轄連合軍
3,107,411 3,189,835  
旧ソ連 453,787 19,179 旧ソ連
満州 41,916 1,003,609 旧ソ連
大連 10,917 215,037 旧ソ連
千島・南樺太 16,006 277,568 旧ソ連
北朝鮮 25,391 297,194 旧ソ連
韓国 181,209 416,110 米国
中国 1,044,460 497,374 中国
台湾 157,388 322,156 中国
香港 14,285 5,062 英国
仏領印度支那 28,710 3,593 英国・中国など
比島 108,912 24,211 米国
蘭領東印度 14,129 1,464 英国・オーストラリアなど
東南アジア 655,330 56,177 英国
オーストラリア 130,398 8,445 オーストラリア
ニュージーランド 391 406 オーストラリア
ハワイ 3,349 310 米国
沖縄 57,364 12,052 米国
本土隣接諸島 60,007 2,382 米国
太平洋諸島 103,462 27,506 米国
(注)2015年3月31日現在(厚生労働省まとめ)。区分の内容は次のカッコ内の通り。仏領印度支那(ベトナム)、比島(フィリピン)、蘭領東印度(インドネシア)、東南アジア(タイ、ミャンマー、シンガポール、マレーシア、ラオス、カンボジア(香港、ベトナム、インドネシアを除く東南アジア地域))、本土隣接諸島(沖縄と千島を除く、本土に隣接する島々)、太平洋諸島(マリアナ諸島、パラオ諸島、トラック諸島、マーシャル諸島など)
(資料)東京新聞(大図解)2007.8.19(管轄連合軍)、毎日新聞2015.9.23

主な引き揚げ港(単位:人)
  受け入れ人数 主な出国地 送り出し人数 備考
博多 1,392,429 旧満州、北朝鮮、大連 510,837 送り出し戸畑出張所担当分5341人含む
仙崎 413,961 葫蘆島、上海、釜山 339,548  
佐世保 1,391,646 旧満州、北朝鮮、大連台湾、朝鮮半島、南方諸地域 193,981  
鹿児島 360,924 フィリピン、台湾、旧満州を含む中国、沖縄、中部太平洋、南方諸地域 54,773  
大竹 410,783 フィリピン、沖縄、ベトナム、インドネシア、ニューギニア、中部太平洋、シンガポールなど 1,127  
宇品 169,026 フィリピン、インドネシア、台湾、旧満州、中国、中部太平洋、沖縄など 41,075  
田辺 220,332 台湾、南方諸地域 -  
舞鶴 664,531 旧ソ連、中国、朝鮮半島など 32,997 ☆1950年以降、唯一の引き揚げ港に
名古屋 259,589 台湾、マレー、ラバウル、ニューギニアなど南方諸地域 28,241 ☆軍人が大半。遺骨4万7319柱も帰還
浦賀 500,000 南方諸地域、カナダ、米国、台湾、南米 10,000  
函館 311,452 千島・樺太、旧満州(9割近く民間人) - ☆9割近くが民間人
(注)唐津は航行中の引き揚げ船が給油などで寄港することはあったが、受け入れ・送り出しの業務はしなかった。沖縄の久場崎は日本本土からの引き揚げ者と南洋群島から戻ってくる人たち約17万人を受け入れた。海外からの引き揚げも沖縄に直接戻った場合と本土経由で戻った場合があり複雑。
(資料)東京新聞(大図解)2007.8.19


(2007年8月20日収録、2015年9月24日更新)


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