統計数理研究所によって「日本人の国民性調査」が1953年以来、5年ごとに戦後継続的に行われている(同じ問を継続しているが問によっては必ずしも毎回聞いている訳ではない)。長期的な日本人の意識変化を見るためには貴重な調査である。この調査はすべて、全国の20歳以上(ただし2003年〜08年は80歳未満、2013年は85歳未満)の男女個人を調査対象とした標本調査である。各回とも層化多段無作為抽出法で標本を抽出し、個別面接聴取法で実施されている。2013年調査は10〜12月に行われ、回答者は、この問に関しては1,591人だった(回収率49%)。 ここでは、宗教心の2つの側面、すなわち「信仰や信心をもっているか」と「あの世を信じているか」について、1958年段階の結果とその50年後に当たる2013年の結果をグラフにした。(なお前者については1958年以降毎5年に調査されているが、後者の調査は1958年と2008〜13年のみである。両者の推移については図録3971e) 宗教についてはヘーゲルやベルグソンなどの哲学者は自然宗教と啓示宗教に区別している(この用語はヘーゲル)。自然宗教は土俗的宗教や民族宗教の段階の宗教であり、知性や理性で説明が困難な得体の知れない存在や気持ちをどう理解するかに関わる宗教心であり、げんかつぎ、呪術や個人・血族・都市・民族の守護神、死後の世界設定などの分野である。啓示宗教はキリスト教、仏教、イスラム教など民族を越えて信仰されるレベルの高い宗教であり、ベルグソンなどは人類が人類以上の存在へ向かう進化の途上とも捉えている(「道徳と宗教の二源泉」)。 単純化すると、宗教心の2つの側面のうち「信仰や信心をもっているか」は啓示宗教的な分野に近いし、「あの世を信じているか」は自然宗教的な分野に近いと考えられる。 1958年の段階では、宗教心の2側面を信奉しているものはいずれも若者で少なく、高齢者で多いという構造をもっていた。自然科学信奉が迷信への反発の余り宗教一般を若者に忌避させた結果であろう。 ところが、55年後の2013年の段階では、信じているものは全体に少なくなったものの、信仰・信心は以前と同じように高齢者ほど多くが持っているのに対して、あの世を信じるものは、むしろ、50歳代までの方が多いという構造に変化した(2008年の結果では、若い層ほどあの世を信じる比率が高かったが2013年では30歳代以下より40〜50歳代の方が信じる比率が上回った)。 こういう状況をポストモダンというのであろうが、人類史にとっての意味は不明である。啓示宗教が20世紀に力を失ったからかも知れない(「宗教は阿片である」「神は死んだ」)。しかし私などにとっては人類精神が退行しているようにしか見えない。携帯電話が個々の人間の計画精神を失わせ、社会全体としての知的レベルは上げていても個々人のレベルはアメーバに近い本能的な存在に近づけていると感じるが、宗教心も同様の方向にあるようだ。1971年以降の同様の傾向は図録3971bにも見られる。また、「あの世を信じているか」を「祖先の霊的な力を信じるか」に代えて、ここでふれたのと同様な宗教の2側面を図録9530で扱ったので参照されたい。 なお、同調査は、宗教に関しては、もう1つ、「宗教的なこころは大切か」という問を設けている。参考までにこの設問の回答を1983年と最新年とで掲げておいた。この問に関しては、「信仰を持っている」や「あの世を信じる」より、ずっと回答率が高い。年齢的には高齢者ほど回答率が高く、回答率は全体にやや低下しているが「信仰を持っている」ほどは低下していない。日本人の宗教心のあり方としては、これが一番安定している考え方だと捉えることができる。 下には、参考に、NHKの県民意識調査の宗教意識に関する設問の結果を年齢別にまとめたデータを示した。「宗教の信仰」及び「死後の世界を信じるか」の結果は、それぞれ、上の「信仰・信心を持っている」及び「あの世を信じているか」と同様のパターンを示している。ここでの「祖先信仰」の結果が自然宗教というより啓示宗教のパターンに近い理由については、この図について分析した図録7770jのコラムを参照のこと。 (2010年4月12日収録、2014年10月31日更新、2016年4月10日「宗教的なこころは大切」の回答率を追加)
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