高度成長期の半ば、東京オリンピック前年の1963年には、浴室のある家は59.1%と6割以下だった。銭湯に行くのが普通だった時代である。当時、都内に銭湯が2,600軒以上あった(図録7658)。 また、同1963年に水洗便所をもつ家は9.2%と1割以下だった。 図録には、同時に、これとほぼ同じ時期(1965年)の東京都区部における下水道の普及状況を示す図を掲げた。当時、区部の中心部ではかなり下水道が普及していたが、周辺部は、練馬、板橋、足立、江戸川だけでなく、世田谷、目黒、杉並といった地域でも普及率20%未満だった。まだ汲み取り式トイレが普通であり、まちにはバキュームカーが往来していたのである。 私が当時住んでいたのは練馬区であるが、当時の状況、すなわち転落の悪夢の源、蛹がわく「ぼっちゃんトイレ」やバキュームカーが通る際の臭気について、その気になれば昨日のことのように思い出される。 高度成長期が終わってしばらく後の1978年には、全国で浴室のある家が8割を超え、水洗トイレの家が5割近くにまで達した。生活の近代化が実感されてきたのもこの頃である。 (2021年11月7日図録2280から独立させて収録、12月14日社人研調査で最新データ)
[ 本図録と関連するコンテンツ ] |
|