太古の人々が何を食べていたかについては、人骨のコラーゲンに含まれる炭素や窒素の重量の異なる同位体の組成から分析する方法が発達してきている。その分析結果を概観してみよう。

 まず、炭素の同位体組成から通常のC3植物かサバンナのように開けていて日光の強い環境に適応したC4植物かが判別できる。これらの植物を食べる動物も同じである。

 次に窒素の同位体組成から、すなわち、長い食物連鎖で濃縮されていく窒素15の割合から、肉食動物か草食動物かなどが分かる。

 この両方の指標から@の図に示したように、動植物の種類が判明する。遺された骨からヒトや家畜がそれらのうち何を食べていたかも分かることになる。

 Aは北海道から沖縄までの縄文時代後期の人骨を分析した結果である。縄文人の食生活が住んでいる環境に応じて非常に多様性だった点が示されている。

 具体的には、「北海道と沖縄では、炭素と窒素の同位体の両方で本州よりも高い同位体比が示されており、これは海産物の影響と考えられる。しかし、両者を比較すると窒素同位体比が大きく異なっており、北海道では食物連鎖の上位を占める海生哺乳類や大型魚を多く利用したのに対し、沖縄では比較的低位の魚貝類を利用したことがわかる」(米田譲「同位体分析からみた家畜化と日本人の食」(松井章編「野生から家畜へ (食の文化フォーラム 33)」ドメス出版、2015年))。

 沖縄のサンゴ礁の海はじつは生態系は比較的単純であり、北海道のきわめて栄養が豊富な海域での複雑な長い食物連鎖とは対照的だったのである。

 本州の縄文人の食生活は陸上の食料資源と海の食料資源の両方に依存しており、しかも、遺跡間の違いが大きい。遺跡内の個人差も大きい。

 Bの弥生時代でも縄文時代の気候区分に応じた食生活の多様性が保持されている。北海道、沖縄では「縄文時代からの影響を強く受け継いでいる続縄文文化や貝塚文化で、それぞれの地域の縄文時代の特徴を継続して示すことは予想に違わない。一方、本州の弥生文化では水田稲作農耕と家畜の導入によって、イネを含むC3植物生態系へに依存が強まると想像されたが、縄文時代と同じく水産物が重要なタンパク源であり、農作物や家畜への集中はみられなかった。少なくとも骨の同位体分析からは、本州周辺の弥生文化は縄文時代の食文化の影響を受け継いでいるようにみえる」(同上)。

 イヌとブタ(あるいは骨ではブタと区別できないイノシシ)の食についても弥生時代の一遺跡に関しての結果であるCで見てみよう。イヌはヒトと同じ同位体組成を示し、ヒトと同じものを食べていたと考えられる。ブタ(あるいはイノシシ)はヒトの影響を受けた窒素同位体比が高いグループと野生のイノシシと思われる窒素同位体比が低いグループの2つに分かれる。「窒素同位体が高いグループは、ヒトの影響下にあったブタである可能性がある。そうだとすると、弥生時代に人びとは家畜として身近でブタを利用するとともに、狩猟によってイノシシも捕獲するという複合的な動物利用を有していたと考えられる」(同上)。

 最後に北海道から沖縄まで日本全国の現代日本人の頭髪の同位体分析の結果をDに示した。「現代日本人の食生活は、炭素と窒素の同位体比で見ると驚くほどよく似ており、縄文時代の一つの集落の個人差よりも小さいほどだ。同位体生態学からみると、現代日本人が生態系から隔絶した、人為環境に適応した生物ということができる。品種化にまで家畜化が進んだイヌやブタと類似している」(同上)。人為的な環境の中で獲得する生物の特徴を1930年代のドイツの人類学会は「自己家畜化」と呼んだらしいが、まさに、これに該当する状況であることが明らかになったのである。

 家計調査の結果から、古くに縄文人から枝分かれした沖縄では食生活の特異性が目立っている。また、ズーズー弁の方言は縄文語の直系と見なせることから(図録7720参照)、この方言エリアに入る青森、新潟、鳥取などでも食生活の特異性が全国の中でも際立っている(図録7724参照)。これらは弥生文化を受け継ぐ現代の日本文化に溶け込みきれない地域の潜在的な心情によるものではないかと想像される。当図録で紹介した古来よりの食文化の変遷からもそうではないかと思われるのである。

(2016年4月12日収録)


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