1.賃金の上昇 1990年前後に冷戦が終了し、中国が巨大な労働力供給国として門戸を開放したときには、中国の賃金水準は日本の20分の1であった。冷戦前までは、日本企業は基本的に賃金水準の違いが小さい先進国間の競争に慣れていた日本企業は、すぐ隣に中国といる低賃金人口大国が出現し、これとの競争下に置かれるという極端な条件変化をこうむったのであった。中沢ら(2016)では藤本隆宏がこう言っている。「ケ小平が南巡講話(1992年)で「我々も世界経済に進出するぞ」と言ったことによって、日本の主たる貿易相手国が賃金で約1対1のアメリカから1対20の中国になってしまった(たとえば1990年代から2000年代初めのころ、華南の工場に入ってくる18歳の優秀な女子作業者の賃金はざっと月600元、つまり1万円。日本の若手作業者が20万円としても20倍ということでした)」。 最初の図「中国における賃金の上昇」では、このような状況が変化し、2000年代に入って年を追うごとに賃金が上昇してきた様子がうかがえる。また2番目の図「中国の賃金の相対的上昇」にはアジアの諸国と比較して、今や、中国の賃金水準はマレーシアに次いで高くなっている様子がうかがえる。 中国では、高い経済成長がはじまってしばらくは農村部からの無制限労働力供給の状態にあったため賃金上昇はおさえられていたが、近年では、「都市部における労働需給窮迫の中で、賃金に上昇圧力がかかっている。さらに中国政府は、国民生活向上や消費拡大のため、賃金の上昇を支持しており、このような政府の姿勢と相まって、これまで中国の強みと考えられていた低い賃金水準は、タイ、マレーシアとほぼ同じ水準まで上昇している」(通商白書2014)。 この結果、海外展開をする企業にとって中国は、事業展開先として、かってのように圧倒的な存在ではなく、今や有望な事業展開先のひとつに過ぎない存在となっている。この点については図録5270参照。 2.ルイスの転換点 農村部からの労働力供給が無制限な状態からの転換をルイスの転換点と呼ぶが、中国の賃金上昇が続いてる背景としてはこれがある。3番目の図「中国における無制限労働力供給状態の終焉(ルイスの転換点)」は求人倍率の上昇にこうした状況変化がうかがわれることを示している。 「総生産年齢人口のピークアウトとともに、生産年齢人口の地域別・業種別移動についても変化が生じている。これまで内陸部は、農村の余剰労働力を沿海部の都市に農民工として供給してきたが、その余剰労働力が減少してきている。農村部の余剰労働力を統計的に把握することは困難であるものの、都市部における求人倍率の推移を見ると、世界経済危機直前にはほぼ1.0に近い水準にまで達しており、世界経済危機後は一時低下するものの、1.0の境界を越えて更に上昇している。工業化の過程で、農業部門の余剰労働力が工業部門に移動して、農業部門の余剰労働力が枯渇すると、労働需給が窮迫して賃金上昇が生じるとされる。英国の経済学者アーサー・ルイスによって提唱されたため「ルイスの転換点」と呼ばれる」(通商白書2014)。 なお、ここでふれられている「生産年齢人口のピークアウト」については図録1158参照。 【参考文献】 中沢孝夫・藤本隆宏・新宅順二郎(2016)「ものづくりの反撃」ちくま新書 (2016年3月12日収録)
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