歴史図録として、今回は、17世紀から19世紀にかけてのキューバを中心としたカリブ海諸国の奴隷人口の推移を掲げた。

 カリブ海地域ではアンデス地域とは異なり、先住民人口はほぼ絶滅していたのでプランテーションの労働力としてアフリカから黒人奴隷を大量に移入された。

 キューバの先住民人口の推移については図録8825参照、中南米の民族構成の特徴とそれに由来する文化的特色については図録8820参照。

 Robin Moore(2010)によると大西洋奴隷貿易で運ばれたアフリカの黒人の割合は以下である。

・ブラジル 39%
・カリブ海 40%
・北米・中米・南米 21%
 (うち米国 5%) 

 カリブ海の各島では、植民地産品としての砂糖生産の中心地のシフトに沿って、フランス植民地のハイチ、英国植民地のジャマイカ、スペイン植民地のキューバへと奴隷人口の中心地も推移したことが図に明確に示されている。

 奴隷貿易の推移については末尾の【コラム1】「カリブ海地域における奴隷貿易の推移」を参照されたい。

 他地域で奴隷貿易や奴隷制が禁止されていく中で(下の年表参照)、カリブ海地域で最後の黒人奴隷中心地となったのはキューバである。黒人奴隷が最も多かったのは1860年に395万人の黒人奴隷を抱えていた米国であるが、その時でも黒人の比率は2割を切っており(図録8610参照)、1841年のキューバで6割近くを占めていたのとは比較にならない。

 奴隷制廃止年表
奴隷貿易の禁止 奴隷制の廃止
1791ハイチ独立革命
1792デンマーク
1807英国
1813スウェーデン
1814オランダ
1815フランス〜1830sラテンアメリカ諸国

・キューバでは1817年、183.5年のスペイン・英国間の奴隷貿易廃止の協定にもかかわらず、1865年ごろまで奴隷輸入


1833英国砂糖植民地
(1834バルバドス、ジャマイカ)
1838グアダルーペ
1848フランス(二月革命)
1863米国奴隷解放宣言(1865廃止)
1869キューバ(グアイマロ憲法で一応廃止)
1870スペイン領植民地(モレー法)
1886キューバ完全廃止
1888ブラジル

 キューバの黒人音楽要素が国民音楽としての位置づけを獲得し、さらにアフロキューバン音楽が、キューバにおけるナショナリズムの基本要素としての位置づけを獲得していった歴史を鮮やかに示したRobin Moore(1997)は、キューバにおける「例外的といってもよいほど強いアフリカ文化の存在」をこうした後発奴隷輸入国としての経緯に求めている(末尾の【コラム2】「キューバにおけるアフリカ文化の起源」を参照されたい)。

 1969年の段階のキューバ人口の構成を2番目の図に示した。140万人のキューバ人口のうち、白人は54.5%にあたる76万人、奴隷が26.0%にあたる36万人、解放奴隷が17.1%にあたる24万人となっている。なお、不足する製糖所労働力のため、契約労働者(年季奉公人)として移入された中国人クーリー(苦力)も3.4万人と2.5%を占めている。その後、スペインやカナリア諸島から白人入植者が増加して白人比率はこれより高まった(図録8820)。

【コラム1】 カリブ海地域における奴隷貿易の推移とその帰結
      Robin Moore(2010)よりの引用

 カリブ海の奴隷貿易は1600年代にははじまっていたが、次の世紀には、植民地政府が、何よりもサトウキビ栽培のために農場設立を拡大しはじめたので、奴隷貿易はさらに強化された。フランス植民地のサンドマング(イスパニオラ島の西側)が、当初、この動きをリードし、1780年代までに80万人の奴隷を輸入したサンドマングはカリブ海地域における最も豊かな植民地となり、ヨーロッパで消費される砂糖の40%を生産し、その結果、巨大な収入を地主にもたらした。サンドマング全土で1790年代に起こった奴隷反乱により輸出経済が衰退すると、ブラジル、キューバ、サントドミンゴ(現ドミニカ共和国)といった諸国がヨーロッパの砂糖への需要にこたえるために多数の奴隷を輸入しはじめた。キューバでは1840年代を通じて奴隷貿易が拡大し、キューバの奴隷貿易の終焉が決定的となったのはやっと1886年になってからであった。サントドミンゴの奴隷制は早くも1820年代に終わりをとげた。というのもハイチ軍(解放奴隷からなる)との戦いでイスパニオラ全島は1844年まで20年間ハイチ軍に占領されたからである。奴隷制が1844年までに最終的にラテンアメリカ全体で廃止されたときには、3〜4百万人のアフリカ出身者とその子孫がこの地域に暮らしていた。その時から植民地当局は、増え続けるプランテーション労働力への需要に対して、中国やインド、その他から契約労働者(年季奉公人)を移入しはじめ、その結果、各地の人口は多様さを増していった。(p.53)

 19世紀初頭においては、多くのアフリカ人の捕虜とその子孫は明確な民族的なアイデンティティを維持していた。英国植民地や米国では、しかしながら、当局は1807年には新しい奴隷を連れてくることを停止し、1830年代には、奴隷制の運用を全体として違法とした。こうした処置は、スペインのカリブ海地域よりずっと早かった。その結果、20世紀初頭には、英語圏地域のアフリカ出身者は自らの先祖や出身部族についての知識が希薄となった。この点は、プエルトリコやドミニカ共和国といったアフリカ出身者が少なく、奴隷制も相対的に早く終焉をとげた島々でも共通だった。これらとは対照的に、キューバのように奴隷貿易が長く続いた島、あるいはハイチのように奴隷の反乱が成功を収めた島では、20世紀に入っても、コミュニティが明確な祖先の伝統を保持し、アフリカの言葉を使い続けていた。こうした場所では音楽の演奏もアフリカ的伝統の特定の形式に緊密に結びついていた。(p.54)

【コラム2】 キューバにおけるアフリカ文化の起源
      Robin Moore(1997)よりの引用

 キューバは最も早く建設された植民地であったが、すぐに、スペイン当局にとってほとんど重要性を失った。メキシコとペルーにおける金の発見、またさらに経済的な潜在力を持つ地域の発見により、キューバ植民地の拡大はスローダウンした。17〜18世紀を通じて島の唯一の戦略的な役割は、価値の高い積み荷を載せてヨーロッパに帰るスペイン艦隊(アルマダ)の立ち寄り駅としてであった。1750年になってもキューバの人口は主としてスペイン人からなる約15万人であり、ハバナ州、マタンサス州、サンチャゴ州に集中していた。

 こうした状況は18世紀の末にかけて激変した。ハイチの革命と米国の新市場のおかげで巨大な商機がキューバに開かれたのである。1790年代までハイチはアメリカ両大陸における最大の砂糖生産地域であった。1791年、ハイチ島における戦争の勃発と植民地経済の崩壊によって、砂糖への世界需要と砂糖価格は劇的に拡大、上昇した。キューバの投資家はカリブ海のフランス植民地からの砂糖輸出の低落を利用し自らの生産を拡大した。彼らのこうした方針はキューバ社会のすみずみにまで劇的な影響をもたらした。1790年から1839年までにキューバの実質所得は50倍に増加した(Aguilar 1972, 2)。キューバ植民地は、数十年で、小さな孤立地域から帝国で最も豊かな部分の1つとなった。

 この時期、多くのラテンアメリカ植民地では、西アフリカからアメリカ大陸への奴隷の合法輸送を減じたり、廃止したりする中、キューバへの奴隷輸入はかつてないレベルにまで達した。16世紀末以降アフリカ人はキューバに連れてこられていたが、1790年代までは、彼らは、人口の少数部分を占めているにすぎなかった。ところが、1811年にはキューバには32万人の黒人やムラート(混血)が住み、人口の54%以上を占めるまでになっていた。この傾向は1841年にピークに達し、奴隷やアフリカ出身者はすべてのキューバ人の58.5%を占めるに至った(Paquette 1988, 298)。1853年には公式には新規の奴隷輸入は禁止されたが、少なくとももう10年は、奴隷取引は継続した。その後の非合法貿易の継続によって20世紀初めのキューバには、例外的といってもよいほど強いアフリカ文化の存在をもたらした。例えば、非常に多くのアフリカ生まれの奴隷が独立戦争(1868〜1878年、1879〜1880年、1895〜1898年)に参加したし、20世紀への転換期になっても彼らはなお生存していた。

 さらに19世紀末および20世紀におけるアフリカ文化の強い影響をもたらした要因として、スペイン当局の同意を得て設立されたカビルド・デ・ナシオン(cabildos de nacion)がある。アフリカ人やその子孫はこの異なる民族地域出身者をメンバーとする黒人組織を結成し、運営した。ヨルバ族、バンツー族、エグバ族、オジョ族、イフェ族、マンディンガ族、カラバリ族といった部族が支配する各地域出身の奴隷が相互に区別されるカビルド会を維持した(Castellanos and Catellanos 1987参照)。植民当局にとってカビルドの利点は2重であった。1つは、新しく到着した新米アフリカ人(ボサールbozales)にスペイン語を習わせ、新しい環境に慣れさせるという支援的役割を果たした。第2に、奴隷人口の間に分断された民族意識を維持させ、大衆的な蜂起や陰謀の危険性を減じた。そして、意図せざる結果として、カビルドは、言語、宗教行為、音楽や舞踏の伝統を含むアフリカ文化をキューバの中に永続化させる基礎を提供したのであった(p.15〜16)。

(参考資料)
・神代修(2010)「キューバ史研究―先住民社会から社会主義社会まで」文理閣
・Robin Moore(1997), Nationalizing Blackness: Afrocubanismo and Artistic Revolution in Havana, 1920-1940
・Robin Moore(2010), Music in the Hispanic Caribbean: Experiencing Music, Expressing Culture, Oxford Univ Pr
・Franklin W. Knight(1978), The Caribbean: The Genesis of a Fragmented Nationalism (Latin American Histories), Oxford University Press

(2010年12月2日収録)


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