カリブ海地域ではアンデス地域とは異なり、先住民人口はほぼ絶滅していたのでプランテーションの労働力としてアフリカから黒人奴隷を大量に移入された。 キューバの先住民人口の推移については図録8825参照、中南米の民族構成の特徴とそれに由来する文化的特色については図録8820参照。 Robin Moore(2010)によると大西洋奴隷貿易で運ばれたアフリカの黒人の割合は以下である。 ・ブラジル 39% ・カリブ海 40% ・北米・中米・南米 21% (うち米国 5%) カリブ海の各島では、植民地産品としての砂糖生産の中心地のシフトに沿って、フランス植民地のハイチ、英国植民地のジャマイカ、スペイン植民地のキューバへと奴隷人口の中心地も推移したことが図に明確に示されている。 奴隷貿易の推移については末尾の【コラム1】「カリブ海地域における奴隷貿易の推移」を参照されたい。 他地域で奴隷貿易や奴隷制が禁止されていく中で(下の年表参照)、カリブ海地域で最後の黒人奴隷中心地となったのはキューバである。黒人奴隷が最も多かったのは1860年に395万人の黒人奴隷を抱えていた米国であるが、その時でも黒人の比率は2割を切っており(図録8610参照)、1841年のキューバで6割近くを占めていたのとは比較にならない。 奴隷制廃止年表
キューバの黒人音楽要素が国民音楽としての位置づけを獲得し、さらにアフロキューバン音楽が、キューバにおけるナショナリズムの基本要素としての位置づけを獲得していった歴史を鮮やかに示したRobin Moore(1997)は、キューバにおける「例外的といってもよいほど強いアフリカ文化の存在」をこうした後発奴隷輸入国としての経緯に求めている(末尾の【コラム2】「キューバにおけるアフリカ文化の起源」を参照されたい)。 1969年の段階のキューバ人口の構成を2番目の図に示した。140万人のキューバ人口のうち、白人は54.5%にあたる76万人、奴隷が26.0%にあたる36万人、解放奴隷が17.1%にあたる24万人となっている。なお、不足する製糖所労働力のため、契約労働者(年季奉公人)として移入された中国人クーリー(苦力)も3.4万人と2.5%を占めている。その後、スペインやカナリア諸島から白人入植者が増加して白人比率はこれより高まった(図録8820)。
(参考資料) ・神代修(2010)「キューバ史研究―先住民社会から社会主義社会まで」文理閣 ・Robin Moore(1997), Nationalizing Blackness: Afrocubanismo and Artistic Revolution in Havana, 1920-1940 ・Robin Moore(2010), Music in the Hispanic Caribbean: Experiencing Music, Expressing Culture, Oxford Univ Pr ・Franklin W. Knight(1978), The Caribbean: The Genesis of a Fragmented Nationalism (Latin American Histories), Oxford University Press (2010年12月2日収録)
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