アジア開発銀行(ADB、本部マニラ)は、アジアの社会保障の特性と有効性を確認し、国別比較を可能とするために、社会保護指標(Social Protection Index)を開発している。

 ここで、社会保護(Social Protection)は、2013年報告書(ADB(2013), Social Protection Index.)によれば、以下のように、@社会保険、A社会援助、B積極的労働市場対策から構成される。アジア開発銀行が算出したアジア諸国の社会保障については、少し前のデータであるが図録8033参照。
@社会保険(Social insurance)
医療保険、年金、雇用保険など
A社会援助(Social assistance)
社会移転、児童福祉、高齢者福祉、健康づくり、障害者対策、災害救済
B積極的労働市場対策(Active labor market programs)
職業訓練、および労働力人口に対する一時的な食料・生活費援助
 社会保護指数(SPI)は、社会保護の想定対象人口1人当たりの給付額水準をあらわしたものである。指数は、貧困ライン(1人当たりGDP×0.25)に対する比率で示されている。すなわち相対値で仮定される貧困ラインの所得に占める割合によって社会保護の充実度をあらわしている。報告書は、社会保護指数(SPI)を4で割った値が人口1人当たりGDPに対する相対水準となるので、参照するのは、こちらでもよいとしている。日本の社会保護指数は0.416であるから、日本の社会保護水準は、これを4で割った0.104、すなわち1人当たりGDPの10.4%に当たるという訳である。図録に示したように日本の社会保護水準はアジア諸国の中で最も高い水準である。

 社会保護指数は広がりと手厚さ(深さ)の掛け算の結果となるように設計されている。

 社会保護指数=広がり(想定対象人口に占める受給者の割合)×手厚さ(受給者1人当たり給付額対貧困ライン「1人当たりGDP×0.25」)

 図録は、アジア主要国の社会保護指数を、広がり(X軸)と手厚さ(4分の1値、Y軸)に分解して示した散布図である。

 アジア諸国の社会保障パターンは、@狭くて手厚い国(マレーシア、ウズベキスタン、パキスタン)、A狭くて手薄な国(フィリピン、バングラデシュ、インド))、B広くて手薄な国(インドネシア、ベトナム、タイ、中国、シンガポール、韓国)、C広くて手厚い国(日本)の4つに分けられる。

 @の国では貧困層ではなく、非貧困層向けに社会保護が実施されている。日本は、例外的に、広くて手厚い国として、アジア諸国の中では、相対的に、欧米先進国に近い特徴を示しており、経済発展の歴史の積み重ねが反映しているといえよう。

 この散布図を最初に掲載した英エコノミスト誌(The Economist July 6th 2013)の記事の見方によれば、アジア諸国は欧米が切り開いた「福祉国家」の考え方に必ずしも賛同していないとされ、2001年に当時のシンガポール首相が「施しは松葉杖精神をもたらし、怠惰や依存心や濫用の源になりがちである」と言ったことが紹介されている。確かに、シンガポールは今や日本よりもずっと豊かな国となっているのに(図録4541)、相変わらず、社会保護はベトナム並みに手薄なパターンであり、指数も高くない。記事の表題が"Widefare"なのは、アジア新興国では、"Welfare states"というより、単なる"Widefare states"となっていると言いたいのであろう。

 また、同誌は、アジアでは「自力救済」の伝統から、社会保護の中でも、無償の社会援助ではなく、保険料を負担する社会保険への傾斜を示す国が多いとしている。例えば、韓国では8割が社会保険、日本では9割近く、シンガポール、マレーシアでは9割以上が社会保険である。

 毎日新聞(2015.5.27)は、シンガポールのリー・クアンユー元首相の言葉「政府が貧しい人々を援助してしまうと、高度成長の原動力となってきた自立心がたやすく失われる」(1996年、シンガポール国立大の講演)を紹介し、シンガポールでは、物乞いが犯罪となる点(最大3000シンガポールドル(約27万円)の罰金、または最長2年の禁錮刑)、雇用法で企業は特別な理由なしに従業員を解雇でき、一部職種を除き最低賃金は定められず、日本のような失業保険制度もない点、また、所得税が低く抑えられている点(もっとも政府は2015年2月、福祉財源を確保するため、高所得者の所得税率引き上げを決めた)を伝えている。シンガポールについてはさらにコラム参照。

 日本でも、保守党としての自民党には、自助・共助・公助のバランスの中で、自助を重視する考え方が色濃いが、アジア的な共通性が認められよう。

 もっとも現金移転も実験的に試されてもいる。タイでは、国際金融危機への対処策として登録低所得労働者に対して援助金(65米ドル相当)が支払われる"Chek Chuay Chaat"対策が実施された。また、保険料を運用する主体としての信用が政府にない南アジアでは安い穀物の頒布や道路敷設や溝掘りに貧乏人を雇うといった対策が講じられるのみである(インドやバングラデシュが典型)。

 ここで指数を取り上げている国は次の14か国である。バングラデシュ、インドネシア、パキスタン、インド、フィリピン、タイ、スリランカ、ベトナム、中国、マレーシア、シンガポール、韓国、ウズベキスタン、日本。

【コラム】シンガポールの「将来への備え」中央基金(Central Provident Fund)

 1955年に創設されたシンガポールの「将来への備え」中央基金(CPF)は現在でも同国の社会保障(保護)制度の礎(いしずえ)となっている。CPFは強制保険スキームであり、雇用者と雇い主の両方が拠出し、政府補助金が補うかたちとなっている。CPFの下に積み立てられた資金は、住宅資金、退職金、医療のために使われる。2009年には、この資金に対する政府の拠出金は政府の社会保障(保護)支出の90%を上回っていた。

 国民は55歳になると、CPFの年金部分を引き出すことができる。しかし、多くの国民は最大額の年金を受給できる65歳までは自分の個人年金を受け取る方を選択する。しかし、退職以前に他の目的でファンドの当該勘定から資金が引き出される場合も多いので、将来の年金に当てられるCPFの可能性についての関心が高まってきている。

 CPFは世界の中でもシンガポールの貯蓄率が最も高いことを説明しうる要因となっているが、一方で、弱者や貧困者、あるいは増加する自営業者や低賃金労働者のニーズを考慮して設計されたものではないことに対して批判が集まっている(Sharma2011)。

*以上、ADB(2013), Social Protection Index による。

 いまやシンガポール人の80%はHDB住宅(住宅開発公社住宅)に住んでいる。集合住宅は類似していて人々はパック詰めされているような感じだ。しかしシンガポールにはスラムはないし、実際上、ホームレスもいない。住宅は一般に清潔であり、よく管理されている。財産価値は長年上昇してきている。

 所有者のほとんどはCPFのおかげで財産持ちになった。CPFに対して、すべての者が毎月非常に多くを支払う(現在37%、うち雇用者が20%、労働者が17%を拠出金を分担)。人々は公社住宅の頭金をCPF資金から借りることができる。ローンの残額は自分たちの口座から直接支払われる。はじめて購入者に対しては、99年リースで売却されるHDB住宅の価格は大きく補助を受ける。

 リークワンユー学校のエコノミストであるドナルド・ローは、「公共住宅はわが国の事実上の福祉国家です」と言う。それはシンプルで効果的な制度である。施しに反対の政府は富を低所得家庭に大量に再配分した。高齢者は退職時に住む家があり、暮らす資金をもつことになる。65歳以上のほとんどすべてのHDB住宅所有者は債務を返済し終えている。

 政府は常に自助や家族の相互扶助を福祉対策よりも優先してきた。両親は扶養し損ねる子どもを訴えることが出来る。困窮する低所得者を扶助するにはミーンズテスト(資産評価)が利用可能である。無職者は職業訓練に向かわされる。しかし、2011年選挙の後には、政策に寛大さを新たに迎え入れることになった。昨年にはパイオニア世代(1950年以前生まれ)に対する諸手当の実施が表明され、政府の財源から基金がすでに作られている。政府はまた控え目なミーンズテスト年金を導入し、補助金つきの医療制度を拡張した。しかし、政策に魂が入ったと自慢できるかどうか、また政府のトップが制度を持続すると大方に信じさせることが出来るかは心許ないようにも見える。

*以上、The Economist July 18th 2015, Special Report: Shingapore による。

(2013年9月20日収録、2015年5月27日シンガポール記事補充、7月27日コラムに英エコノミスト誌から引用追加)


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