中世末期となるが、京都が30万人で最大。京都と並ぶ畿内都市の大坂、堺、あるいは東海道の鎌倉、駿府、そして、家康が建設を進めていた江戸が、おおむね人口10万人以上の大都市だった。 畿内、東海道以外であると、大内氏が本拠地とし、日明貿易で栄え、宣教師が日本ではじめてクリスマスを祝ったともいわれる山口が8万人と最も大きかった。この他、前田家の金沢や島津家の鹿児島が4〜5万人と大きかった。九州の中心都市博多は一時期の5万人から中世末期には3.5万人に縮小していたようだ。 1600年時点における西欧都市の人口規模は、多い順に、ナポリ28万人、パリ22万人、ロンドン20万人、ベネチア14万人というデータがあるが(図録9015)、同じ頃、京都30万人、大坂20万人、江戸15万人とほぼこれに匹敵する都市を国内に複数抱えていたことから、少なくとも中世末期の日本は都市形成という側面では世界の中でもそう遅れた地域ではなかったことがうかがわれる。 京都には人口30〜40万人に対し遊女が5万人と多かったというフィリピンの臨時総督ドン・ロドリゴの証言については図録9017参照。 また同時期、これらに次ぐ駿府10万人、堺8万人、山口8万人、金沢5万人、鹿児島4.5万人という都市規模は、同時期の西欧都市では、ローマ10.5万人、リスボン10万人、フィレンツェ7万人、アムステルダム6.5万人、ウィーン5万人などと肩を並べていたのである。 以下に、戦国期の主要都市の一覧を掲げたが、人口が判明していない都市も多かったことがうかがえる。
図に取り上げた中世都市を掲げておくと、京都、山崎、醍醐寺、淀、奈良、多武峰、堺、本願寺、大坂、天王寺、西宮、鎌倉、安濃津、桑名、府中、駿府、山田、江戸、大多喜、聖徳時、大湊、引間、清州、岩和田、大津、坂本、石寺、今泉/岐阜、吉田、新町、春日山、瑞泉寺、柏崎、蓮沼、金沢、山口、尾道、雪ノ港、博多、平戸、府内、野津、养女浦、佐賀、雞知、佐須奈、蒲江津、鹿児島である。 (2017年12月15日収録、2024年4月28日戦国期主要都市表補訂)
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