佐藤、鈴木、高橋、田中という全国順位4位までの名前のうち、高橋が1位なのは群馬県だけであるが、その他の3つの名前は複数の県で1位となっている。1位になっている都道府県数は佐藤は9、鈴木は8、田中は11である。山本は全国順位は9位とそう高くないにもかかわらず北陸・近畿・中四国の9県でトップとなっているのが目立っている(全国順位は図録2403参照)。 全国順位トップの佐藤は、北海道・東北(新潟まで)を中心に、徳島、大分といった飛び地を含めて、9道県で1位の名前となっている。首位県数は田中に劣るが、関東で2〜3位の地位を占めているので全国トップになっているといえよう。東北諸県では、佐藤、佐々木、高橋、鈴木といった主要な名前が全体に占めるシェアが目立って大きくなっている。すなわち、名前の集中度が高く多様性が低い。佐藤というトップ姓名のシェアも5〜7%とその他の地域の首位シェア1〜3%を大きく上回っていることも全国トップの地位につながっている。下にはそんな状況から生まれた宮城の高校野球チームが佐藤だらけだったという話題を示した。 鈴木は群馬を除く関東1都5県でトップを占めているのに加え、東海地方の静岡、愛知でもトップを占めており、関西圏を除く東京圏、中京圏といった2の大都市圏で勢力が大きいため、全国2位を地位を保っているのだといえる。東北の数県でも2〜3位であるが、西日本では5位までにまったく登場しない点で、佐藤とともに東日本型の姓名といえよう。鈴木姓は熊野大社の神官名に由来しており(図録2403)、「鈴木姓の分布は、全国に約2700あるという熊野神社の4分の3が中部以東にあり、近畿以西には少ないことと符合している」(宇田川勝司「数字が語る現代日本の「ウラ」「オモテ」」学研新書、2009年)(注)。 (注)鈴木という姓は、平安時代の熊野の豪族鈴木氏が藤白神社(和歌山県海南市)に移り住み、一族が全国に熊野信仰を広める過程で広がったとされる。2015年に神社境内が国史跡となったの機に空き家となっていた一族ゆかりの「鈴木屋敷」の復元に海南市が乗り出し、国の補助金のほか、クラウドファンディング(CF)で資金の一部を集め2023年3月末に完成して一般公開されている。ふるさと納税制度などを通じこのCFの寄付に大きく貢献したのが、当図録のデータでは4.9%と全国でもっとも鈴木姓の多い静岡県、あるいは全国の都市の中で最も多い浜松市の県民や市民だった。竣工式には企業版ふるさと納税で1000万円を寄付したスズキの鈴木修相談役も来賓として出席したという(東京新聞、2023年4月7日夕刊)。 関東の名字は東北と共通点が多く、基層は東北的といえよう。北陸のうち新潟は東北や東山に近いが、それ以外の三県は近畿の特色と同一であり、やはり関西圏としての性格が強いことがうかがわれる。 田中は、近畿、およびその外延部の福井、そして山陰や九州北部と西日本の多くの県で首位を占める西日本型の名前であり、北陸から中四国にかけて田中と重複する地域で首位が多い山本とならぶ西日本型の双璧となっている。なお、田中、山本とならんで、首位にはなっていないが、中村が同じ地域で2〜3位となっている場合が多く、これも西日本型の名前ということができる。東日本には、田中姓は少ないが、東京、神奈川では、4〜5位に登場している。これは、東京、神奈川には西日本を含む日本全国から多くの人々が集まって来ているからであると考えられる。 3位までに複数の都道府県で登場する名前ではない名前を白いバックで表示しているが、こうした単独系の名前は、中四国から九州に多くなっている。特に、宮崎と沖縄では上位3位ともに単独系の姓名である点が目立っている。また、宮崎の名前は他県でもなくはない名前であるが、沖縄の場合は、沖縄以外ではほとんど見られない沖縄ならではの名前であるという違いもある。また、東北の中でも、青森は1位の工藤が他県の3位までと共通せず、また上位3位までの累積%が低いという点で、かなり特異である。 いずれにせよ、東日本ほど名前の集中度が高く、逆に、西日本ほど名前の多様性、希少性が高くなるという一般傾向が認められる。これは、日本の歴史的な発展過程が西から東へと展開していったことと無関係ではないだろう(これと関連のある宗教の東西比較は図録7770参照)。起源地から遠い所ほど品目構成がシンプルという中尾佐助の文化の地理的普及理論「エージ・アンド・エリアの仮説」とも関連する(図録0432)。 なお、四国・九州には、徳島、大分で佐藤が首位、愛媛で高橋が2位と東日本型の名前が飛び地的に上位に登場することから、関西地方を飛び越した東日本とのつながりがうかがわれる。これは、納豆好き、パン好きなどの食文化分布でも見られる現象である(図録7722)。 この他、数県にまたがる特徴的な名前として、以下が目立っている。
宮崎では「黒木」が最も多い姓である理由については。姓氏研究家の森岡浩氏がこう言っている。 「皮を剥いで明るい色になった木を今でも「白木」というように、皮のついたままの丸太を「黒木」といった。宮崎県では針葉樹が多い。こうした針葉樹がびっしりと茂った山は黒々と見えたことから針葉樹のことも「黒木」ともいった。つまり、山に生えている針葉樹も、それを皮のついたたままの丸太にしたものも「黒木」であった。 木材は日向国の特産品で、江戸時代も宮崎県の「黒木」は切り出されて大坂や江戸に出荷され、地元に富をもたらしていた。東大寺大仏殿の再建でも日向の木材が使われている。「黒木」とは日向国の経済を支えた貴重な資源であった。 そのため、「黒木」は名字として多くの人が名乗り、今でも県で一番多い名字となっている。ちなみに、読み方は「くろき」と「くろぎ」の2通りがあり、宮崎県内では両方とも多い」(まいどなニュース、2024.2.4) 。
(2014年1月4日収録、1月23日鈴木姓、田中姓コメント追加、2017年8月27日佐藤だらけの野球大会、2018年12月27日補訂、図改良、2023年4月7日「鈴木屋敷」の復元の(注)、2024年2月4日宮崎の「黒木」姓の由来)
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