道路交通、鉄道、航空、海上の交通事故による死亡者数の長期推移を掲げた。

 交通事故統計はそれぞれの交通手段の普及の歴史的な順序で海難事故からとられはじめ、鉄道事故が続き、航空と道路交通が最後に統計の対象となっている。

 交通事故の中では個別的な輸送手段である自動車交通の発達に伴い特に戦後になって増加した道路交通事故が規模的に最も多い。今では交通事故というと道路交通事故を指す場合が多い。高度成長期の後半、1970年に16,765人のピークを見た後、オイルショック後の不況の中で1万人を割ったが、1988年には再度1万人を越え、1992年には11,452人の第2のピークをみた。その後、シートベルト等数々の交通安全対策により2009年にはは5千人を下回り、2018年には3,532人となっている(最近の道路交通事故については図録6820参照)。

 戦前期の近代化の主役であった鉄道交通については、事故死亡者数も明治、大正、昭和と増加を続けたが、戦後直後及び1950年代に3千人台となった後、自動車交通との代替の中で減少傾向となり、1980年代以降は500人を下回るに至った(主要な鉄道事故については図録6850参照)。

 世界的に航空機による死亡事故は減少傾向をたどっている点については下図参照。


 海上交通に伴う海難事故と航空機事故は、道路交通や鉄道事故に比べ、毎年の事故死亡者数は少ないが、それらと異なり、時に大事故が起こって多数の死亡者を数えるという特徴がある。以下に大きな海難事故と航空事故を表で示した。

 海難事故では洞爺丸転覆事故が起こった1954年に2,110人の死亡者数というピークを記している。航空機事故では日航ジャンボ機墜落事故が起こった1985年に530人と鉄道事故や海難事故を上回る死亡者数を出した点が目立っている。

主な海難事故と航空事故
(主たる海難事故) 
1905年 軍用船“金城丸”が英国汽船“バラロング号”と大分県姫島沖で衝突沈没(8月)、軍艦“三笠”が佐世保港内で火災により沈没(9月)
1954年 暴風雨による青函連絡船“洞爺丸”の座礁転覆(9月)
(主たる航空事故)
1966年 全日空羽田沖墜落事故(2月、133人死亡)、カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故(4月、64人死亡)、英国海外航空機富士山上空空中分解事故(5月、124人死亡)、全日空松山沖墜落事故(11月、50人死亡)
1971年 ばんだい号墜落事故(7月、68人死亡)、全日空機雫石衝突事故(7月、162人死亡)
1985年 日航ジャンボ機墜落事故(8月、520人死亡)
1994年 中華航空140便墜落事故(4月、264人死亡)

(2007年10月9日収録、2008年11月14日更新、2010年6月11日更新、2014年4月23日更新、2016年3月31日更新、2019年6月22日更新、2023年2月17日更新、2024年9月6日世界の航空機事故推移)


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