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何といっても、中国の戦争犠牲者数が1000万人以上と大きい。日本の戦争犠牲者数も、中国は、中国本土46.6万人、中国東北部(旧満州)が24.5万人、合計約71万人と最も多く、フィリピンの51.8万人を上回っているが、中国人の犠牲者数には遠く及ばない。 各国の戦争犠牲者は、中国に次いで、インドネシアの400万人、ベトナムの200万人、インドの150万人、フィリピンの111万人と多くなっている。これに韓国・北朝鮮、ミャンマー、シンガポール・マレーシア、オーストラリア、ニュージーランド、タイが続いている。この他、連合国軍捕虜などが6.5万人である。 日本の戦没者数は、中国、フィリピンに次いで、中部太平洋地域が24.7万人、沖縄が18.65万人、ミャンマーが13.7万人で多くなっている。この他、東部ニューギニア、ビスマーク・ソロモン諸島、ロシア(モンゴル含む)、西イリアン、インドネシア、インド、樺太・千島、硫黄島、タイ・マレーシア等、北ボルネオと続いている。 各国戦争犠牲者数と日本の戦争犠牲者数の対比で、フィリピンは、前者が111万に対して後者が52万と約半分、ミャンマーでは前者が15万に対して後者が14万とほぼ同数である点が目立っている。 2016年1月末、国交正常化60周年に当たり天皇・皇后両陛下はフィリピンを公式訪問し日本人戦没者の碑への訪問に先立ってフィリピン人戦没者の慰霊を行った。これに際して東京新聞の特集記事の中で整理された日米の激戦の中で犠牲になった人々の数は以下の通りである。
日本人戦没者数については、遺骨が日本に帰っているかについての遺骨収集割合の図を表示選択で見れるようにした。戦没者240万人のうち遺骨が帰っていない人数が112万4000人と47%にのぼっている。特にフィリピンや旧満州、中部太平洋などで日本に帰還していない遺骨が多い。 下には、戦没者のうち軍人・軍属の人数を地域別に多い順に掲げた。上図との差が民間人の戦没者である。満州や沖縄で民間人の犠牲者が多かったことがうかがわれる(沖縄戦の戦没者の内訳を含め図録5227参照)。 さらに旧日本軍の捕虜となった連合軍兵士で捕虜生活中に亡くなった者も戦争犠牲者の一部である。以下に、旧日本軍の連合軍捕虜の主な移送先と死者数を掲げた。連合軍捕虜の状況は下のコラムに記したとおり、一般の戦争捕虜以上に過酷なものであった。戦争に一般的な死への恐怖を逃れるための敵兵の虐待に加え、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という旧日本軍の独特な考えから「軍幹部は「捕虜になる日本兵はほとんどいないはずで、敵兵の捕虜だけを人道的に扱う義務は不公平だ」と考えていた」(田中利幸教授)ことも影響していると考えられる。日本は捕虜の人道的な扱いを定めた「ジュネーブ条約」(1929年)も軍部の反対で批准していなかった。
(2005年8月7日収録、2015年1月15日連合軍捕虜・捕虜死者についての表とコメント追加、8月14日各国戦争犠牲者数拡充、日本人軍人・軍属の地域別戦没者数のグラフ追加、2016年1月28日フィリピン戦死者数表追加、2021年8月15日表示選択「遺骨帰還の有無別日本人戦没者数」)
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