公共事業の動向について、すでに、一般政府の総固定資本形成の対GDP比の推移を追い(図録5165)、またOECD諸国の国際比較を行った(図録5167)。国際比較では日本の公共事業はけっこう地方分が多いことが示された。ここでは、中央政府(省庁)と地方政府(都道府県、市町村)に分けて公共事業の動きを見てみよう。

 一般政府に関する統計は一般会計、特別会計等の決算書を基に組み上げられている。記録は「最終支出主体主義」を採用しており、地方政府が中央政府から2分の1の国庫補助を受けて道路建設を行った場合は、すべて地方政府の公的投資として計上される。すなわち工事の発注者で区分されている。なお、旧国民所得統計(53SNA)では「資金源泉主義」が採用されていた。

 中央政府と地方政府の総固定資本形成の対GDP比の推移を見ると1990年代後半までとそれ以後とで両者の推移パターンには大きな変化が生じたことが明らかである。

 1990年代後半までは、中央政府の動きも地方政府の動きも、若干のズレもあるが、おおむね、一体的に動いていたことが分かる。全体が減少するときには両方とも減少し、景気対策や対米配慮による財政出動で全体が増加するときには両方とも拡張されていたのである。

 ところが、小泉改革時を含む1990年代後半以降の公共事業の中長期的な削減傾向の中では、地方政府の削減が大きかった一方で中央政府の公共事業は対GDP比で若干削減、しかしほぼ横ばいを続けたのであった。

 地方分権の動きを振り返ると、1995年に地方分権推進法が施行され、それに基づき地方分権推進委員会を設置、1998年に地方分権推進計画の決定、2000年の地方分権一括法の施行までの改革が、いわゆる第一次分権改革として進められた。地方分権一括法により、国は、国が本来果たすべき役割を重点的に担い、住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねることを基本として、地方公共団体との間で適切に役割を分担するものとされた(地方自治法第1条の2第2項)。例えば、この考え方にそって、国の機関が地方の機関に指図して、あれこれ仕事をさせる機関委任事務が廃止された。こうしたシステム変更により中央は地方に対して指図しない代わりに予算の面倒も見なくなった(見られなくなった)のでなかろうか。

 その後、2003〜06年度の時期には、いわゆる小泉政権下の「三位一体の改革」(補助金削減、地方への税源移譲、地方交付税見直し)で、本来は補助金削減と税源移譲はイコールの筈であったが、実際は、税源移譲を上回る補助金削減が実施され、地方の公共事業削減は加速されたのであった。

 中央政府の公共事業は、景気対策のための補正予算によって底上げされる場合が多い。中央政府分の対GDP比の1998〜99年度、及び2009年度の上昇は、それぞれ、小渕内閣の景気対策、及び麻生内閣時の景気対策によるものと考えられる(図録5090参照、2003年度の上昇の要因は不詳)。

 中央と地方の対GDP比の動きの乖離は、1998〜99年度に、中央の上昇に地方が追従しなかった(おつきあいしなくなった)ことからはじまっている。一般に、1990〜93年度の地方の公共事業の急増は「国が策定した景気対策と整合的に自治体の公共事業を促し、それを実現すべく起債許可を与え、地方債が増発された」ためとされる(土居2007)。1998〜99年度の新事態は、いくら起債が可能でも、もうこれ以上、景気低迷下の税収不足の中で自治体が公共事業を拡大できないと考えたため生じたのか、それとも起債を許可する国の側で何らかの方針転換があったためかなのであろう。その後の2000年の地方分権一括法や2003〜06年度の三位一体の改革は、こうしてはじまった乖離を促進しただけのようにも見える。中央と地方の公共事業の動きの乖離が、主として、地方の財政の状況によるのか、それとも中央と地方の関係の変化によるものなのかは、判断が難しい。

 私は公共事業の動向一般についてふれた図録5165ではこう指摘した。「私見では高齢化社会に伴う健康福祉コストの増大に対処するためには、また食料自給率の維持強化、山林の保全には、日本の場合は外国人労働に依存するわけにはいかないので、積極的なロボット化など機械力のフル活用、およびそれに対応した集落・都市構造と道路等のインフラが不可欠であると考えられる。そのための研究開発やインフラ整備に重点的に投資することが将来の健康福祉・農業のコスト低減につながるといえる。そう考えると、最近のIg対GDP比の低下は百年の計を誤るものとしか思えない。」

 ここでは、国レベルの公共事業よりも地方レベルの公共事業が重要となっていると考えた訳であったが、実際上は、国レベルが維持されて、本来維持すべき地方レベルが削減されたのであった。国の予算をたてるのは中央省庁であって地方政府ではない。従って、意図したか否かは不明だが、結果として、財政再建方針などによる政治サイド、財務省サイドからの公共事業の削減要求を国土交通省をはじめとした中央省庁の役人は地方に削減分を押しつけ、自分たちに直接つながるテリトリーはなるべく守ったようにしか見えない。国の官僚は国全体と言うより地方の末梢神経系、毛細血管系のことはさておいて中央の基幹系のことに重点を置くようになったのだ。政治家の目は節穴だったのであろう。「コンクリートから人へ」ではなく「人のためのコンクリート」を主張すべきなのであった。大阪維新の会など地方分権改革を地方の手でという動きも根本的にはこうしたところから起こってくる。

(2008SNAでの改定)

 以上は、93SNAによるデータからのコメントであった。2015年データの更新から1994年度以降が2008SNAベースに改定された。Igに関係する2008改定の主要内容は図録5165参照。軍事目的の兵器システムや研究開発(R&D)が新たに固定資本にカウントされることとなったのが基本的内容である。そこで、上方改定されたのは主として中央政府の分であったことが、両方のSNAベースの値を重複表示している図から明らかであろう。

【参考文献】

土居丈朗(2007)「地方債改革の経済学 」日本経済新聞出版社

(2013年5月14日収録、5月15日コメント改訂、12月26日更新、2015年1月16日更新、2016年3月16日更新、12月23日更新)


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