○朝鮮通信使とは
朝鮮国は、古代から日本との関係が深い国でしたが、豊臣秀吉の朝鮮侵攻により国交がとだえました。国内を統一した徳川家康は、朝鮮国との関係を回復しようと努力しました。対馬藩をなかだちにして和平交渉を重ねた結果、戦後、わずか10年で国交を回復し、1607年に朝鮮国王は日本に使節を派遣してきました。これが朝鮮通信使の始まりであり、以後、1811年まで12回来日しました。「通信」とは「信義を通わせる」という意味です。
(大行列に国中が大興奮)
幕府は、朝鮮国王と国書を交わし、通信使を接待することで国の内外にその威信と権力を示そうとし、巨費を投じて最高の儀礼でもてなしました。通信使一行は正使、副使、従事官の3使をはじめ、学者など文化人や芸人たち総勢400〜500人の大使節団であり、ソウルを出発して半年から1年をかけて江戸まで往復しました(第2回は京都まで、第12回は対馬まで)。日本側の警護や荷役まで含めると3〜4千人の行列に国中は大興奮でした。儒学や書画、漢詩など学者や文化人の文化交流が行われたほか、一般の人々も異国情緒あふれた行列に関心を寄せ、沿道には大勢の人々が集まりました。そのため多くの絵画や揮毫、各地のお祭りに通信使行列の姿が遺されることになりました。
○朝鮮通信使400周年記念事業の実施について
ソウルから江戸(東京)まで朝鮮通信使ゆかりの日韓各地で400周年記念事業が行われました。記念行事はゆかりの地(縁地)の自治体や実行委員会などによって実施されましたが、日本側で全体をまとめているのは、朝鮮通信使縁地連絡協議会(会長対馬市長、事務局対馬市観光交流課、全国の17自治体、32団体、11個人が加盟)であり、韓国側では(社)朝鮮通信使文化事業会(姜南周執行委員長、所在地プサン)が主な実施主体となっています。
朝鮮通信使400周年記念事業は各地域の地方自治体や実行委員会などによって行われましたが、日韓両国の幅広い層による友好親善、相互交流、相互往来を促進するという観点から、政府、関係機関や国会議員もこうした記念事業を支援しました。
日韓政府は日韓相互通信使(仮称)の派遣・交換といった事業を実施した他、日本の国土交通省はビジット・ジャパン・キャンペーンの一環として各地の行事への協力を行い、韓国メディア招請などPR事業も実施しました(静岡、広島等の行事、こども通信使事業)。
さらにJNTOは韓国語のホームページで「朝鮮通信使400周年」のコーナーを設け、朝鮮通信使の歴史や日本のゆかりの地の紹介や各地で行われる行事を韓国国民向けに広報しました。
日本では朝鮮通信使縁地連絡協議会が広報スタッフを設け、ホームページ上で、日韓各地で行われた400周年記念事業についてPRし、マスコミ等の報道についても紹介しました。
日本における縁地連絡協議会HP
http://www.enchiren.net/
韓国におけるJNTOのHP
http://www.welcometojapan.or.kr/tong/
また日韓双方で記念事業への支援を行う超党派の議員連盟として、06年4月には韓国で朝鮮通信使国会議員連盟(会長鄭義和)、9月には“朝鮮通信使”交流議員の会(会長河村建夫)が結成されており、両国の議員交流、市民との交流を深めながら各地の行事に参加するとともに、5月には静岡で開催された国際シンポジウムに有識者、両国学生とともに参加し意見を交換しました。
○大きな成果を生んだ多種多様な日韓交流
朝鮮通信使ゆかりの地を中心に日韓各地で17回の朝鮮通信使再現行列が催されました(このページのトップに開催地の地図一覧、末尾に一覧表)。その他、 17カ所の博物館・美術館での特別展示、また国際シンポを含め20回のシンポジウム、青少年研修・交流が3種類、その他21イベント等が開催されました。
こうした朝鮮通信使400周年記念事業の中で、市民、学生、こども、自治体、有識者、政治リーダーなど様々なレベルで、また各層間で多種多様な日韓の相互交流が行われました。
○マスコミ等の報道
各地の行事については日韓双方の新聞、テレビ等で特集記事を含めさかんに報道されました。またNHKはニュースの他、ハイビジョン特集や教育テレビ、関西放送局で朝鮮通信使の歴史と意義についての番組を放送しました。さらに韓国ではKBSソウル、KBS釜山が特集番組を放映した他、人気番組「挑戦!ゴールデンベル」で日韓学生ペア出演の400周年記念特番を放送しました。