設立年代は、早い例としては、尾張藩の学問所(寛永年間設立。のち明倫堂、後身県立明和高校)があるが、広く普及するのは、図の通り、18世紀後半以降である。この時期、各藩は財政再建、藩経済立て直しのための藩政改革を行い、その一貫として、藩政を担う藩士と指導者層の資質・能力向上を目指し藩校が開設されtものである。 科目は、当初は儒学(漢学)が中心であったが、江戸時代後期には、海外諸国との緊張が高まり、社会のニーズが多様化、近代化したため、国学のほか、医学、洋学、算学、兵学などの実学もさかんとなった。教育対象も当初の指導的藩士子弟から下級武士や庶民に広がったといわれる。 以下に主な藩校の一覧表を掲げる。 主な藩校
(資料)東京新聞2009.9.20(大図解) (2009年10月29日収録)
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