与謝蕪村の全俳句2871句について春夏秋冬別に多い順に20句以上の季語を掲げたグラフを作成した(各季語毎に代表的な句を末尾に掲げた)。資料は藤田真一・清登典子編「蕪村全句集」おうふう(2000)を使用した。 68句の花・桜(単に花と言えばサクラを指す)がトップであり、64句の梅、57句の時雨、52句の雪、51句の鶯と続いている。 芭蕉の句の季語と比べながら蕪村俳句の特徴を見てみよう(芭蕉の季語別カウントは堀信夫監修「芭蕉全句」小学館による)。 季語ベスト5
両者のベスト5を比べると、第1位が花・桜で共通である他、梅、雪が入るなど、最多5つの季語が多く重なっている。頻出季語が重なっている点に俳句という我が国詩形式の共通基盤を見ることが可能である。 次ぎに蕪村俳句の20句以上の季語と芭蕉俳句の5句以上の季語とを比べてみよう。 各々の出典によれば蕪村の俳句は全部で2871句、芭蕉は976句であり、蕪村の方が約3倍(2.94倍)である。これは、芭蕉が51歳で亡くなったのに対して、蕪村が68歳まで長生きし、作句期間に違いがあったほか、芭蕉が「一句をどこまでも深く掘り下げ掘り下げしていくタイプの作家」だったのに対して、蕪村が「一つの題に応じて十句でも二十句でも豊麗な詩想を展開してみせ」るという作句スタイルの違いによるものである(尾形仂「芭蕉・蕪村」1978年)。 そこで全俳句に占める割合がほぼ同等になる句数を越える季語でランキングを比較した(本当は芭蕉は6〜7句以上でないと同等とは言えないが少なすぎると特徴も見えないので5句以上とした)。 まず、蕪村が春夏秋冬の四季に渡ってまんべんなく季語を用いていたのに対して、芭蕉の場合は秋と冬に季語が片寄っていることが分かる。また、季語のバラエティも蕪村の方が多く、多彩な作風が目立っている。 季語ランキングによるこうした対比をさらに補完するため、例えば「時雨」という季語の代表句を並べてみると、 旅人とわが名呼ばれん初時雨 芭蕉 老が恋わすれんとすればしぐれかな 蕪村 私なりに意訳すると芭蕉の句は 「冬を告げる定めない時雨と自分を重ね合わせるときこそ自信を持って旅人と呼ばれてもよい気になる。」 蕪村の句は 「年甲斐もなく恋心を抱いてしまった。いかんいかんと思ってふと外をみるとこうした自分を象徴するかのように時雨が降っていることに気がついた。」 芭蕉と蕪村の対比は、思い切り単純化するとマジメとオトボケであり、ルソーとヴォルテール、萩原朔太郎と室生犀星、白土三平と水木しげるといった対比と似ていると言える。秋と冬に季語が片寄るのはマジメだからとも言える。 さらに、もう一つの例として、芭蕉の好む寂寥の秋と蕪村の好む物憂げなほんわか気分の春という対照的な2句を次に掲げよう。 こちらむけ我もさびしき秋の暮 芭蕉 あちら向きに寐た人ゆかし春の暮 蕪村 俳句を成り立たせている季語という観点からまとめると、芭蕉と蕪村の時雨や秋の暮・春の暮の句にあらわれているように、孤高の漂泊精神もロマンチックでエッチな気持ちも、同じように、日本の自然に抱き留められているという共鳴の仕方に、我が国独自の自然観を反映した詩形式である俳句の本質があらわれているといえよう。 正宗白鳥も「日本は季節の推移の激しい、寒暑風雨の動揺の激しい国柄であって、それを丹念に美化し、アバタも笑窪と見たのが、和歌俳句その他の日本文学の特色」と言っている(「「こよみ」について」『全集第25巻評論七』福武書店)。 以下に参考のため蕪村句のランキングに登場した季語ごとの代表句、及び上記以外のいくつかの芭蕉と蕪村の対照句を掲げた。
芭蕉と蕪村の対照的な句
(2008年1月25日収録、2014年4月30日表に蝶の句追加、2016年1月18日ルビ表示、10月6日秋の暮・春の暮の句追加、10月11日芭蕉蕪村対照句、2018年10月20日正宗白鳥引用)
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