2018年冬季五輪ピョンチャン(平昌)大会において、フィギュアスケート男子羽生結弦選手が前回ソチ大会に続いて2大会連続で金メダリストとなった。この種目で2大会連覇は1948年と52年に金メダルを獲得したディック・バトン選手(米国)以来66年ぶりであり、日本選手の冬季五輪での個人種目2連覇は初めてある。 これまでの冬季五輪のフィギュアスケート日本男子で最高成績を残した14名(老松一吉、片山敏一、佐藤信夫、小塚嗣彦、樋口 豊、佐野 稔、松村 充、小川 勝、加納 誠、鍵山正和、本田武史、橋大輔、羽生結弦、鍵山優真)の大会順位を図示した。鍵山正和と鍵山優真は親子である。 女子については、すでに、2006年トリノ冬季五輪で荒川静香選手が、日本人初、そして欧米以外で初の金メダルを獲得した際に、図録3989として掲載をはじめたが、男子は余り注目されていなかったし、個人的な興味も薄かったので作成しないでいた。しかし、羽生結弦選手の快挙を見て、掲載を開始しないわけにはいかなくなった。 過去の推移を見ると、女子と同じように長い間、低迷を続けていたが、女子に遅れて男子もメダル圏内へと上昇してきたことが分かる。 女子の初メダルは1992年アルベールビル大会における伊藤みどり選手の銀メダルだったが、男子の初メダルはそれから5大会後の2010年バンクーバー大会における高橋大輔選手の銅メダルだった。ただ、この大会では浅田真央選手が銀メダルを獲得して注目を集めていたので、やや影が薄い結果となっていた。 そして、羽生結弦選手がソチ大会、ピョンチャン大会と2連続で金メダルを獲得し、ピョンチャン大会での銀メダルがやはり日本勢の宇野昌磨選手だったことも加わって、日本フィギュア界の実力を世界に示す結果となった。 ピョンチャン大会金メダルの羽生選手はスケートに熱中していた小学4年生の頃に通っていた仙台のアイスリンクが経営難のため閉鎖され、練習に集中できない状態が続いたとき、2006年トリノ五輪で金メダルを獲得した荒川静香選手の姿に感動して、スケートへの情熱を取り戻したという。 一方、ピョンチャン大会銀メダルの宇野選手は5歳で初めて名古屋のスケートリンクに立ったときに、将来銀メダルを獲得することになるが当時はまだ12歳だった浅田真央選手から「スケートやりなよ」と声を掛けられたことが、フィギュアスケートに入ったきっかけとなり、さらに、選手になってからも浅田選手から日頃の練習や生活習慣を学び取ったという(東京新聞2018.2.18社説)。 フィギュアスケート女子の躍進がフィギュアスケート男子の躍進につながったのだといえる。 なお、ソチ大会以降の活躍を背景に「最も好きなスポーツ選手」ランキングで羽生結弦選手は2014年以降上位をキープしている(図録3976g参照)。 (2018年2月18日収録、2022年2月10日更新)
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