資料は厚生労働省が発表している「衛生行政報告例」であるが、これは、保健所を管轄している都道府県や政令市、中核市から公衆衛生関係の各種データの報告を得て取りまとめている業務統計である。妊娠人工中絶は、母体保護法(1997年以前の法律名は1948年制定の優生保護法)にもとづき医師が「母体の健康を著しく害するおそれのある」など限られた場合に本人の同意を得て行うもののみ刑法の堕胎の罪による処罰を免れることになっており、かつては、母体保護統計として集計されていたが、現在は、衛生行政報告例に統合されている(戦後における母体保護法(優生保護法)の変遷の詳細については、巻末コラム参照)。 人工妊娠中絶(以下、中絶と略す)は、戦後の一時期は非常に多かった。中絶件数の推移(末尾にデータ表掲載)を見ると、1949年に10万件であった人工妊娠中絶の件数は、1953年には100万件を越え、1955年には117万件のピークに達した。1954〜55年には、15〜49歳女子1000人当たり、50.2件の中絶が実施されていた。毎年100人当たり5件である。総ての女性が仮に生涯の中で20年間に一度中絶をすると丁度この頻度に達するので、多くの女性が中絶を経験していた状況があったと考えられる。 もちろんこれは、母体の健康上から好ましくないばかりでなく、中絶時あるいは後年振り返った時のことを考えて精神的にも好ましい状況ではない。日本は避妊より先に中絶が認められた特異な国(優生保護法1948年、避妊普及の閣議決定1951年)という批判があるが、ともかくこうした好ましくない状況を改善するため避妊の普及を強力に進めた結果、中絶率は急速に低下し、現在は7.9件/1000人当たりとひと頃と比較すると随分と低くなっている(出生率低下の要因が中絶から避妊へと急速に交代していった状況は図録1550コラム参照)。 一方、未成年の中絶率は、かつては千人当たり3件程度と低かったが、高度成長期から安定成長期にシフトした1970年代半ばから徐々に上昇傾向となり、特に、1990年代後半に急上昇した。早いうちからの女子のセックス経験が増えたことが背景にあることは確かであろう(図録2460参照)。未成年の中絶率は、その結果、女性全体のレベルを2000年には上回る異常事態となり、2001年のピークには、千人当たり13.0件となった。さすがにその後はやや低下傾向にある。1990年代の急上昇とその後の低下傾向に一般的な背景以外の目立った理由があるかについては調査中。 現在では、国際比較においても、日本の人工妊娠中絶の件数が取り立てて多くはなく、日本以上に未成年の中絶に各国が悩んでいる状況については図録2247参照(各国の制度比較も)。 次ぎの図に地域別の状況を見るため、都道府県別の未成年の中絶実施率を掲げた。 まず、都道府県別の格差が大きいことが目立っている。最高値を示す福岡の千人当たり7.8件件から最低値を示す奈良の同2.8件まで2.8倍もの格差となっている。 大都市圏と地方圏との比較では、都会的な地域の方が中絶に至る若年者の婚前交渉が多いと考えられがちであるが、むしろ、実態は逆であり、東京、大阪は確かに多いが、この2都府を除く大都市圏より、北海道・東北、あるいは、中四国、九州といった地方圏の方が中絶率が高くなっている。 さらに東日本と西日本とでは、概して、西日本の方が中絶率が高いという傾向も認められる。 ただし、こうした地域傾向は、何故、埼玉が低くて東京が高いか、徳島は低くて高知は高いか、島根は低くて鳥取は高いかといった疑問に回答を与えるものではない。 地方の方が大都市部より中絶率が高い理由としては、地方圏では、未婚男女にとって、性的な異性関係以外の刺激的な娯楽に乏しいからという点が指摘されることもあるが、未成年だけでなく総数の中絶率を見ても、同様の傾向が認められるので、夫婦関係が主となる成年にも同じ理由が当てはまるとするか、あるいは成年、未成年の違いとは関係ない地域的な精神風土や避妊の普及度、公衆衛生上の取り組みの違いなどに理由を求めるべきであろう。 母体保護法:これまでの改正の経緯(平凡社大百科事典2000)
(2009年3月11日収録、2011年11月29日更新、2018年5月19日更新、2023年12月30日更新)
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