学校の児童生徒の健康データを長い間取り続けている学校保健統計(文部科学省)から、かつては多かった寄生虫や虫歯の推移を追ってみよう。

 1950年代の小学校では、「寄生虫」、「結核」、「トラホーム」(注)が「三大学校病」と呼ばれていた。戦後直後には、なお、全社会的に不衛生な環境と習慣が残っていたためである(食中毒死が多かった点については図録1964参照)。

(注)クラミジア・トラコマチスを病原体とする伝染性の結膜炎。眼と手の接触、ハエ媒介、タオル・ハンカチ・化粧品の共用などで伝染する。気温が高く、乾燥した発展途上国の子どもたちの眼で感染がみられることが多い。

 図から見て取れるように、寄生虫のいる小学生の割合は、1950年前後には60%を越えていた。寄生虫の中では回虫と十二指腸虫が多かった。ただでさえ不足がちの栄養が寄生虫に横取りされていたのだからたまらない。

 もちろん、この点の改善は高度成長期を待たず、急速に進み、1960年ごろには寄生虫のいる小学生は20%近くまで下がった。一時取り止めとなっていた統計が再開された1970年代半ばには5%前後となっていたが、その後も、ほとんどゼロまで低下が続き、ついに2016年の0.12%を最後に寄生虫についての調査が再度取りやめとなった。

 サンフランシスコ講和条約締結後、発効前の1951年に生まれた私は虫歯にならなかったが、5歳年下の妹は虫歯だらけだった。急に甘いものが食べられるようになった一方で、親たちが歯磨きの習慣をつけさせねばならないと気がつくのが遅れたからである。

 統計上も虫歯の小学生が1950年の4割から1960年には8割以上と2倍以上に増加した。1970年代にはさらに増え9割を越えた。虫歯にならない小学生はいない状態だったのである。当初は、ともかくアマルガム(水銀とスズなどの安価な合金)を詰め込めといった風な処置が進んだ。その後、食が満ちたりて甘いものにこだわらず、口腔衛生の習慣改善も大いに進んだため、1995年以降は、虫歯の小学生はどんどん減り、最近は5割を切っている。

 感染性の疾患に代わって、近年増加したアレルギー性の疾患であるぜんそくやアトピー性皮膚炎の子どもの推移については図録2179c参照。

(2019年2月3日収録、12月21日更新)


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