英国エコノミスト誌が取り上げた心臓病、がん、脳卒中という3大死因別の死亡率の長期推移を掲げた。それとの関連が深い食生活の変化についても同時に示されている。対象国はOECD諸国であるが、日本、ドイツ、米国、韓国の4カ国がカラーで表示されており、その他のOECD諸国はすべて薄いグレーの線になっており、全体のばらつきの中での4カ国の位置を示かたちになっている。

 日本以外でカラー化で示された国については、米国はもっとも野放図な食生活の先進国として、また、ドイツは米国とは対極にある健康に配慮している先進国の代表として選ばれているのだと思われる。韓国は日本の推移が類似の食生活を有するアジアの一般傾向かを判定するための比較対象として選ばれている。日本と比較されている4カ国の選定にもセンスが光る。

 ここで死亡率は人口10万人当たりの死亡者数であり、しかも年齢調整済みの値である。がんの死亡率は高齢者の割合が増えているので上昇しているが、年齢構成が同じで推移している年齢調整済みの死亡率ではむしろ低下している(図録2080参照)。この点がこの図でも明確である。

 日本は世界の中で最も平均寿命が長い長寿国であることが知られている。そのため、日本人の生活様式に世界の関心が集まっている。特に日本人の食生活はこのために世界中で注目され、和食ブームが各国で生じている(図録0209a参照)。

 だが、ベジタリアン(菜食主義者)やビーガン(完全菜食主義者)が鬼の首を取ったように主張するように、本当に欧米と比較して肉食の割合が小さいから長寿を生んでいるのだろうか。この点にこたえようとしたのがこの図である。

 全死因の死亡率は1960年代には日本はまだOECDの中で中位水準だった。その後、死亡率が急速に低下して最も死亡率が低い国、すなわち最も長寿な国となった。

 心臓病(心疾患)やがんの死亡率について、日本は確かに低下傾向にあるが、もとからOECDの中で特に高い方ではなかった。従って、長寿世界一への躍進の主な要因とはいいがたい。

 これに対して、脳卒中(脳血管疾患:脳出血と脳梗塞)については、OECDの中で、日本は1970年には最も高い死亡率を示していたのが、最近は、最低水準へと死亡率が急低下している。脳卒中死亡率の改善こそが長寿世界一の主要要因と言えるのである。

 主食であるコメのドカ食いを基本としていた戦前までの日本人の食生活にとって塩分の濃い副食(漬物、干物、みそ・しょうゆ)はそのための必需品だった。脳卒中の中でも特に脳出血による死亡率が高かったが、これは塩分の多い食事による血圧の高さが原因だった。

 戦後のコメ依存からの脱却と食生活の多様化は日本人の塩分摂取量を劇的に低下させ、そのため、脳出血による死亡は大きく減少した。肉類の消費は食生活の多様化の一部としてこの傾向を後押ししたが、一方で、コレステロール摂取量の増加で脳梗塞死亡率を高めていた。ところが、1980年代以降は、肉類消費がさらに伸びても脳梗塞死亡率は大きく低下した(下図参照)。


 エコノミスト誌は日本人の脳血管疾患死亡率の低下は血圧の管理が進んだことによるものだけでなく、適度な動物由来食品の摂取にもよっているとしてこう述べている。

「食事がもう一つの要因である。日本は大きく言えば1200年の間肉食を禁じてきて、今でも、肉類や乳製品の消費は相対的に少ない。これらを摂り過ぎると、心臓病と関連している飽和脂肪酸を含んでいるので害がある。加工肉を食べ過ぎると脳卒中のリスクが増すという研究も多い。しかし、少なすぎるのも同様に賢明でない。というのは、それらは血管壁にとって必要性が高いコレステロールを供給するからである。4万8千人の英国人を対象とした研究によれば、普通人と比べ、ベジタリアンは心臓病に対して抵抗力があるが、脳卒中にはなりやすい。

 理論的に言って、動物由来の食品不足が日本の歴史的な脳血管疾患死亡率の高さのひとつの要因となっていた可能性がある。1960〜2013年に日本では、脳卒中死が大きく低落するとともに一人当たりの肉類消費はゼロ近くから52kg(米国レベルの45%)にまで増加した。東京の国立がん研究センターの津金昌一郎は”日本人は血管を健全に保つために肉や乳製品を必要としている。ただし、血管が詰まるほど多いといけないが”と言っている」。

 欧米ではベジタリアンの主張が政争のまとになるほど社会的な影響力を有している(注)

(注)欧米におけるベジタリアン、ビーガンの影響力については肉食の環境面への悪影響についてふれた図録4183も参照されたい。

 2020年6月のフランスの統一地方選で「美食の街」として知られるリヨン市の市長に、マクロン大統領によって結成された与党「共和国前進」のライバルとして躍進した環境保護政党「ヨーロッパエコロジー・緑の党(EELV)」の候補者が当選した。

 この市長の下で、2021年2月22日から、従来は宗教的理由などで肉類の有無が選べた学校給食が、肉類なしに限ったベジタリアン・メニューの提供に変更された。配膳の簡素化により給食担当職員が社会的距離を取りやすくなるのが狙いとされているが、フランス政府の閣僚らは「食肉農家への冒とくだ」(内相)、「給食に政治的イデオロギーを持ち込むな」(農相)などと一斉に批判を展開しているという(東京新聞2021.2.25)。

 欧米の脱原発論者が高品質製品を生み出している日本でさえ深刻な原発事故が起こったことを反原発の論拠としているように、ベジタリアンは肉食の少ない日本が世界一の長寿国であることを菜食主義の主張の有力な根拠としていると思われる。ベジタリアンに一定の距離をおいている知識階層はそうした主張を本当かなと苦々しく思っているに違いない。

 エコノミスト誌は毎週の紙面に統計グラフのページを設けており、2021年1月16日号は、ここで紹介した三大死因別死亡率の推移の主要国比較を取り上げた。タイトルは、"The meat spot"(肉食の場)であり、副題は、「日本人の異例の長寿はゴルディロックス食によるともいえる」("The Japanese may owe some of their unusual longevity to a Goldilocks diet")である。

 ここで、ゴールディロックスとは英語の童話に出てくる主人公の少女で、三匹のクマさんの留守宅に迷い込み、お父さんクマのスープを"too hot"と言い、お母さんクマのスープを"too cold"と言い、子グマのスープを"just right"と言って子グマのスープを全部平らげたキャラクターである。ここから「ゴールディロックス」は、インフレを起こすほど"hot"ではなく、不況を起こすほど"cold"ではない「理想のほどほど経済」を表す慣用句として、多くのエコノミストが頻繁に使う用語になっているという(武者陵司による)。

 エコノミスト誌の副題の意味するところは、結論からいうと、肉や乳製品から得られるコレステロールは摂り過ぎても摂らな過ぎても死亡率を上昇させるのだが、日本人はそれをちょうどよく組み合わせているから長寿なのだと言っているのである。

 何故、貴重な紙面を割いて、日本人の長寿の要因論を展開しているかというと、読者である世界の知識階層が煙たがっているベジタリアンの主張は一方的だと示すことが重要だと判断しているからなのである。

(2021年6月6日収録)


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