グラフはいずれの地域でも家族の中心というべき「夫婦と子供」以外の人数(100世帯当たり)をあらわしている。 大家族制の大家族とは単に家族員数が大きい家族のことではなく、複数の子ども(息子の場合が多い)が生家にとどまることによって形成される家族であり、兄弟(姉妹)がその配偶者とともに家族成員になっているケースを指す。共同体家族とも呼ばれる。 子どもがひとりだけ生家に残って後の子どもは他出すると直系家族が形成される。そして直系家族が単世代のみになったものを核家族と考えることができよう。直系家族は基幹家族(stem family)とも呼ばれる。 人類史的には核家族から直系家族や共同体家族が生れたという考えもある。イングランドなどヨーロッパの周辺地域に核家族形態が見られるのは、方言の分布と同じように古いものが周辺に残っているからだというわけである(エマニュエル・トッド「問題は英国ではない、EUなのだ」文春新書、2016年、p.112、末尾コラム参照)。 イングランドのデータは、近代より前から核家族システムだったことが分かる。100世帯に世帯主の親は2人しかいない。結婚すると親と別居するのが通常なので、子どもを含む核家族以外の親族人数は極めて少なくなっているのである。 北欧・中欧では親や兄弟姉妹が100世帯のうち10〜11人はいることから、イングランドと異なり直系家族が成立していたともいえる。ただし、子どもの配偶者はほとんどおらず、「戸主となった子供が引退した両親ないし片親と同居し、扶養することはありえても、結婚して家族をもつ子供が、いまだ戸主権を保持している親のもとで生活するということはなかったということ」(斎藤修2002、p.24、以下同様)である。「北・中欧においては直系家族の形態をとる場合でも、イングランドの核家族と同様、結婚は新しい世帯の形成を意味したのであり、その意味で、ミッテラウアーのいう「隠居家族」という呼称のほうが正確かもしれない」(p.24)。 日本の場合は、甥・姪、叔父・叔母などが図の欧米事例と同様少ないことから、大家族ではなく、「ロシアや地中海地域で観察されるような、水平方向への拡大はみられなかった。その意味で、またそのかぎりで、両者とも直系家族世帯と呼んでさしつかえないであろう」(p.25)。 しかし、日本の直系家族は欧州の直系家族とは異なる。すなわち、子供の配偶者の数、また、これにともなって孫の数がかなり多くなっており、少なくとも跡継ぎは結婚によって独立せず、下方にも広がっていく傾向があるのである。これは「共食共住の集団であると同時に経営体だった家の世代間継承が、日本の家族にとって何にもまして重要な関心事であったという事情の反映と解釈できる」(p.26)。韓国なども同様だと考えられるが、日本の家制度のように血のつながらない養子、婿養子にも家・財産が引き継がれることはない点が異なっている。 核家族の英国と家制度の日本の親子関係の対比については図録1307も参照。 次に、日本の国内の地域別の状況である。 地域別の家族構造については、東北で傍系親族を含む複合大家族が存続し、西南日本には老親との別居をともなう夫婦家族制が見られたという説があるが、斎藤によれば、同じ直系家族システムの変化形ととらえたほうが適切だという。 確かに、東北の家族員数は全体に多く、特に、子供の配偶者や孫の人数は他地域を大きく凌駕している。しかし、兄弟姉妹の配偶者は100世帯あたり2名と少なく、水平方向への拡大が特徴の大家族制とは言いがたい。また、甥姪などもそう多くない。また、孫の多さは東北地方における戸主の子供夫婦の完結出生児数の多さに起因している(図録7300参照)。 むしろ、別個のシステムの可能性が高いのは西南地方の別居制のほうであるが、九州にしても、親や子供の配偶者の人数がそう少なくないなど、それほど日本の郡部平均と差がないことから別家族システムとはいえないとされる。 (2016年12月12日収録、2022年6月18日エマニュエル・トッドのコラム追加)
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