日本に在住する朝鮮人・韓国人の人数の長期推移をグラフにした。

 1910年韓国併合以降、朝鮮半島からの移入数は増加の一途をたどり、在日朝鮮人人数は1924年に10万人を越え、1928年には20万人を越えた。

 背景としては、日米向け輸出を目指した産米増殖計画における構造変化の中で土地を失ったり、数年おきに起こる干害によって没落した農民が、農村を離れ、その一部が日本や満州へ流出したことがあげられる(武田幸男編(2000)「朝鮮史 (新版 世界各国史)」山川出版社)。

 満州開拓の勢いは大きく、朝鮮人の日本への厳しい渡航規制もあって、1930年代には満州在住の朝鮮人の方が日本在住朝鮮人より多かった(下表参照)。

戦前期における朝鮮人の移住・連行等
1.朝鮮から日本への労働力強制連行
   100万人以上(1939〜45年)
   (485万人−朝鮮国内への動員)

2.軍属としての徴用
   15万5000人(中国、東南アジア、南洋諸島への動員、1941年〜)
    ◇朝鮮への徴兵制は43年改正兵役法公布で
      1944年最初の徴兵検査206,057人

3.軍需工場等への勤労動員
   数十万人(12〜40歳女性、1944年〜)

4.「軍慰安婦」として連行
   数万人(日本、中国、東南アジア、太平洋諸島へ)

5.満州への労働力移住・動員
   開拓移民17万人(朝鮮農民、1937〜42年)
    ◇満州在住朝鮮人人口
      1930年   600,000人
      1936年   915,930人
      1943年 1,540,583人
(資料)武田幸男編(2000)「朝鮮史」山川出版社

 1937年の日中戦争開始以降、戦争の長期化にともなって日本国内の労働力が不足し、朝鮮国内及び日本への強制的な労働力動員体制が作られていった。「日本へ連行された労働者は土木工事、炭鉱、鉱山に配置され、過酷な労働を強制された。」その後、対象業種が「金属・航空機・化学・運輸部門を含むようになった。」(武田編(2000))

 それまでの100万人に1939年〜45年にさらに100万人が加えられて終戦時には約210万人が日本に在住したと推定されている。

 終戦後は約130万人が半島へ引き揚げ(図録8857参照)、その後、残留した在日60万人体制が戦後日本の中で長く続くこととなった(図録1180参照)。

(2007年5月5日収録)


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