図録7900や図録8855で内閣府の世論調査の結果から、韓国への親近度の推移からこうした点を確認したが、ここでは、もっと以前からのデータを見ることとする。 実は朝鮮半島を植民地化していたとはいえ、建て前の面が大きかったかも知れないが、戦前の朝鮮人を同胞の民としてとらえており、そのイメージは悪くはなかった。1939年の日本人学生を対象とする調査では、翌年締結されることとなる日独伊三国軍事同盟の相手国であるドイツ、イタリア、そして植民地化していた満州に続いて4番目に好きな民族としており、米英、ヨーロッパ、ロシアなどよりずっとイメージが良かった。 ところが戦後1949年の調査では一気に最下位に転落する。1951年、1960年代半ばの調査も同等である。 こうしたイメージの悪化の背景としては、戦後直後の在日朝鮮人の無法者ぶりが影響している。終戦直後国内には200万人以上の在日朝鮮人がおり、「翌年3月にかけて約130万人といわれる朝鮮人引き揚げ者が引き起こした社会的混乱、各地の炭坑、工場、会社、土木現場での朝鮮人による罷業や争議、ヤミ市の朝鮮人、やくざとの抗争事件、警察署襲撃事件...といった在日朝鮮人にまつわる一連の行為」(鄭大均「韓国のイメージ―戦後日本人の隣国観 」1995)が日本人に大きなマイナスのイメージを与えたのである。 「解放前に日本(人)に抑圧され差別されたという思いが深い分だけ、日本人とへだたった地位に、つまり連合国人と同様の特権を享受しうべく優遇されることを要求し、容れられない場合は実力で獲得したのだった...ふり返るに、在日朝鮮人の「解放」は、自力によってもたされたものではなかった。それ故自らを「解放民族」であると主張し、その名分の下にかれらがおこなった言動は、どうしても「解放」をもたらした連合軍、占領軍の威光を背にするものとならざるをえなかったが、それこそは、敗戦による敗北感情にとらわれていた当時の大多数の日本人の神経を逆撫でし、苦々しくさせるところのものだったのである。」(加藤晴子(1984)−鄭大均(1995)からの孫引き) 李ライン(1952〜65)による日本漁船の拿捕事件の頻発も同様に在日朝鮮人と言うより韓国政府に対してであるが、韓国イメージの悪化に結びついたと思われる。 その後、1978年の政府による外交に関する世論調査では、親近感で韓国は、ドイツ、フランスを上回り、イメージがずいぶん改善していた。そして韓流ブームがたかまった2004年を経て、親近感がピークに達した2009〜10年には、ヨーロッパや大洋州を上回り、米国に次ぐ世界第2位の親近感を日本国民に抱かれるようになった。 戦後の不幸な事件の悪イメージが時間とともに薄れるとともに、明治維新以降の日本の隣国関係の基本(すなわち共同で欧米に対抗する「アジア主義」路線から「脱亜入欧」路線への転換と定着、そして植民地支配による優越意識)が根本的に変化し、さらに日韓の経済格差・所得格差が縮小したため、こうしたイメージの変化が生じたのであろう。 韓国(人)に対しては関係が良好となった反面、北朝鮮に対しては、拉致事件に見られるように、無法なのに恥じることはない根拠があるといわんばかりの相手の態度に日本人が苦々しさを感じている点になお古い両国関係が維持されており、その結果イメージは最低であることには留意が必要である。 2009〜10年からそれほど時間が経っていないが、2012年の韓国李大統領の竹島上陸、13年の安倍首相靖国参拝、14年以降の朴大統領の歴史問題へのかたくなな態度などで日韓関係が悪化し、最近は、再び、韓国・韓国人のイメージはかなり低下している。 中国人に対しては、韓国・朝鮮人と異なり、戦前は交戦国であったこともあり、非常にイメージが悪かったのが、戦後には、イメージが改善し、特に日中国交回復によって親近感が韓国に先立って米国に次ぐ第2位の地位を獲得した。しかし、その後、領土問題などをめぐって両国関係は悪化し、中国のイメージは韓国に先立って大きくダウンし、最近は最低のレベルとなっている。ロシアへの親近感は以前より余りよいとはいえないので、これで、日本の隣国であるロシア、中国、韓国の3カ国総てに対して親近感が低い構造がもたらされてしまった。 なお、最近、韓国、中国に代わって、インドへの好感度が増しているが、古いデータでもインドへの感情はそれほど悪くなかったことが分かる。 (2007年4月16日収録、2015年10月22日更新)
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