各時代の最大人口都市は、西暦1000年時点では後ウマイヤ朝の首都コルドバ、1800年には北京、1900年にはロンドン、そして2000年は東京である。 欧米の産業都市が近代化の中で膨大な都市インフラを整備して世界の大都市に躍り出たのは18〜19世紀になってからである。 1800年には、欧米の都市はロンドン、パリ、ナポリの3都市だけだったが、1900年には、東京を除く9都市は、全て欧米の都市となった。東京もアジアの都市というより欧米の近代産業都市としての発展を目指した結果の人口集積と言って良い。 なお、上の資料では1800年の江戸は69万人で世界4位であるが、武士人口を含めると100万人を越えており、当時世界1だった可能性が高い(図録7851参照)。 近代以前、世界の大都市をリードしていたのはアジアであった。1000年の大都市は、コルドバを除いて欧米以外の都市であった。現在スペインにあるコルドバではあるが、当時、後ウマイヤ朝の首都、西方イスラーム文化の中心として世界最大の人口を誇ったものであり、決して欧米都市として栄えていたわけではない。 (中国10〜13世紀の宋の時代に)「農業の適地適作主義、鉱工業の発達が、商業をさかんにしたことは自然の勢いである。北宋開封の人口は100万に達したと思われ、南宋の都臨安(杭州)はおそらくそれ以上であったであろう。そのほか、いたるところに大都市が出現して商業が繁栄した。これを当時のヨーロッパの国都級都市でさえ、おおむね人口10万以下であったのにくらべると、けた違いの大きさであったことがわかる。」(宮崎市定「宋元時代」1959年、全集12)(欧州都市については図録9015参照) そして現代の2014年に至っては、開発途上国の人口増と経済発展の中で、再度、アジアの諸都市が巨大都市の半数を占めるに至っており、欧米の大都市はニューヨークのみとなった。 なお、各グラフの上限値は時代を経る毎に大きくなっている。西暦1000年には50万人であったものが、1800年には120万人、1900年には700万人、そして2014年には4000万人と都市圏の人口規模の上限は大きく拡大してきている状況がうかがえる。
<文献> ・地球白書〈1999‐2000〉 ・国連人口部 (2007年7月2日収録、2012年2月19日宮崎(1959)引用、2015年5月20日最新年次更新)
[ 本図録と関連するコンテンツ ] |
|