今では都市に暮らす人口がほとんどを占めるに至っているが、それは現代の特徴であり、歴史的にはかなり新しい現象である。かつては農村部に暮らす人口が圧倒的に多く、都市人口は限られていた。ここでは明治以前の都市人口比率の推移を追った資料を紹介する。

 図には、人口1万人以上のまちに住む人口を都市人口とし、その人口と全国に占める比率の推移を掲げている。

 日本の中世都市の人口を都市別に見たデータを図録7849に示しているので参照されたい。

 近世に入る戦国時代から江戸初期にかけて「兵農分離」が行われた。これは、武士と農民の身分的分離政策であり、戦国大名は武士の城下町集住や検地による農民身分の確定で両者の分離に努めたが、豊臣秀吉は天正16(1588)年、刀狩り令によって兵と農の身分的差別を明確にした。こうした兵農分離にともなう武士の都市集中により、都市人口比率は1500年の3.4%から1600年には6.4%にまで大きく高まった。

 さらに、その後、関ヶ原の戦い、徳川幕府の成立により、戦国大名の全国各地への配置替えが進むなか、慶長20(1615)年には一国一城令が出され、各地の大名がそれまで家臣が住んでいた領内各地の大小の城を廃棄、自らの城下町に集住させるようになった。このようにして起こった城下町建設ラッシュにより人口1万人以上の都市人口が急速に増加することとなった。こうした動きに幕府所在地江戸の急速な成長が重なって、1600年の都市人口比率は6.4%だったが、1650年にはそれが13.6%と2倍以上に急伸したのである。

 1650年以降、江戸時代後半には都市人口とその比率が停滞、あるいは低下傾向に転じているが、これは、プロト工業化や都市蟻地獄説によるものであろう(京都、大坂、江戸の人口推移を追った図録7851参照)。

 なお、2020年の国勢調査によれば、人口1万人以上の市町村に住む人口比率は98.0%、人口3万人以上の市町村に住む人口の比率は91.6%となっており、明治初期と比較しても都市化が著しく進んだことが分かる。

(2023年11月23日収録)  


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