人口1人当たりの消費量が多い国はグルジア、アイルランド、英国、トルコ、アラブ首長国連邦、リビア、シリア、モーリタニア、モロッコ、クウェートなどであり、年間1sを大きく越えている。日本人1人当たりの茶の消費量は、1.06sと、これらの国の約1/2〜1/3程度である。主要消費国であるインドは、35位(0.65s)、中国は51位(0.39s)と、人口が多いために国全体での消費量は多いものの、1人当たりの消費量はあまり多くない。 人口1人当たりの消費量の世界平均は、年間0.47sであるが、中国では、年間0.39sと、現在のところ、1人当たり消費量がそう多くない。中国人の1人当たり消費量が、茶の発祥地であるにもかかわらず、世界平均以下である点は余り知られていない意外な事実である。他の多くの食品と同様、対世界シェアは伸びつつあり、今後消費量がさらに増加していく可能性があると思われる(下図及び図録0300参照)。 世界で茶がよく飲まれている地域は中近東の国々で、1人当たりの茶の消費量が多い国が沢山ある。イスラム国では原則として飲酒禁止である点が影響していると思われる(1人当たりアルコール消費量の世界マップは図録1970)。 一方、お茶消費マップで黄色のところやグレイのところは消費が少ない国であるが、アイルランド、英国を除いたヨーロッパの国々や米国を含め、アメリカ大陸の国々では茶はあまり飲まれておらず、これらの国々での一人当たりの茶の消費量は日本の1/3以下である。またアフリカでも、イスラム圏のモーリタニア、モロッコ、リビア、エジプトなどで消費量が多いものの、他の国ではあまり茶が飲まれていない。 お茶をよく飲む中東・北アフリカ諸国や英国、アイルランド、オランダでは、コーヒー消費量が少なく、北アフリカの中でお茶を余り飲まないアルジェリアではコーヒーを比較的よく飲むなど、お茶とコーヒーが代替財である点はこの図録と図録0478との対比から明らかである。 中東の人間が欧州で暮らすと紅茶が飲めないことでさびしく感じるらしい。東京新聞連載の(木村)「太郎の国際通信」によると(2016年1月10日)、2015年末、ISの脅威や内戦でシリアからスウェーデンへ逃れた移住者の次のような声がニュースサイト「ハフィントンポスト」アラビア語版に載って波紋を広げているという。「街は午後6時を過ぎると人通りが絶える。喫茶店もない。ここは退屈で惨めな国だ。言葉を覚えるのも、仕事を探すのも大変だ。ここに溶け込む自信がなくなった」。同記事によれば「スウェーデンはシリア移住者の滞在先として人気があり、これまで8万人余が受け入れられている。スウェーデン政府も難民対策には力を入れていると伝えられていたのだが、移住者たちは必ずしも満足していないようで、中には中東に引き返すものも出始めているらしい」。フィンランドでもイラクからの若い移住者は「ここは寒すぎるし、紅茶もない。レストランもない。誰も道を歩いていない。車だけだ」と通信社に不満を語っているそうだ。アルコールを飲まない代わりに紅茶を囲みながら人々が打ち解けあう文化を形成している中東人にとって紅茶が楽しめない環境は欧米人や日本人にとってアルコールが楽しめない環境と同じぐらい酷なのかもしれない。 なお、スウェーデンやフィンランドといった北欧諸国は紅茶の消費量が非常に少ないが、これはコーヒーの消費量が非常に多いためであろう(図録0478参照)。 世界の茶の消費分布は、中国から当初東アジア、次に近世になって欧米に伝わり、さらに世界に拡散した結果である。石毛直道はこうした過程を次のように要約している(「世界の食べもの――食の文化地理 (講談社学術文庫) 」)。 「ヨーロッパで茶を飲む風習が定着したのはオランダとイギリスであり、それは両国の東インド会社が中国からヨーロッパへの茶の輸入をほとんど独占したこと、後にイギリスがインド、スリランカにおいて、オランダがジャワにおいて、チャのプランテーション経営をはじめてことに原因をもつ。インドネシアにおいてコーヒーのプランテーションもおこなったオランダでは、茶と並んでコーヒーも飲まれるようになり、第二次世界大戦中のドイツ占領下において茶の供給が途絶えたことから、現在はコーヒーが茶にとってかわってしまった。 南アフリカ、オーストラリア、カナダの旧イギリス領は紅茶国としてのこっているが、イギリス系移民と並んで茶を愛好するオランダ系移民のおおかったアメリカ合衆国は、独立戦争のきっかけとなった1773年のボストン茶会事件を契機として、コーヒー愛好国への道をたどってしまった。 ヨーロッパが海路による中国茶の輸入に依存したのとことなり、ロシアは中国から陸路のキャラヴァンによって茶を輸入し、18世紀に茶の飲用が普及した。サモワールを利用して紅茶をたて、ジャムやレモンをくわえ、サトウダイコン製の固い砂糖をかじりながら飲むロシア紅茶は、19世紀におけるロシアの南下政策とともに西アジア各地に分布していった。またシベリア経営にともなって紅たん茶を使用した飲茶の風習がシベリアの諸民族に普及した。 コーヒー地帯であった北アフリカでは、19世紀にイギリスによって安価な茶が供給されるようになってから飲茶が普及し、ハッカ入りの緑茶や紅茶が一般的な飲み物となり、この地方の特色ある茶器や飲み方が成立した。しかし、コーヒー国であるフランスの植民地だったアルジェリアではコーヒー消費量のほうがおおきい。」(p.255〜7)「リビアでは、中国産緑茶を多量の砂糖とともに金属製のティーポットで煮出した後、たかいところから滝のように注ぐことによって泡立てて飲む方法が一般的である。」(p.140) なお、棒グラフで取り上げた対象国は、1人当たりの消費量の多い順に、グルジア、アイルランド、英国、トルコ、アラブ首長国連邦、リビア、シリア、モーリタニア、モロッコ、クウェート、ガンビア、スリランカ、ロシア、モーリシャス、エジプト、トルクメニスタン、日本、オランダ、チュニジア、ヨルダン、チリ、サウジアラビア、モンゴル、スーダン、ウズベキスタン、ケニア、ボツワナ、タジキスタン、オーストラリア、レバノン、ポーランド、カザフスタン、マリ、パキスタン、インド、イラン、カナダ、マレーシア、ニュージーランド、イエメン、アゼルバイジャン、スワジランド、ラトビア、ミャンマー、モザンビーク、セネガル、ボリビア、ブルンジ、南アフリカ、キルギス、中国、ウクライナ、エストニア、バングラデシュ、スイス、ネパール、ガーナ、スウェーデン、リトアニア、米国である。 (2006年8月30日収録、2013年8月21日石毛引用、2015年9月26日中国シェアのみ更新、2016年1月10日木村太郎記事紹介、1月14日北欧諸国では紅茶ではなくコーヒーが主飲料というコメント、1月15日お茶とコーヒーは代替財)
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