ここでは、自然観、社会観に関する2つの問の結果を掲げた。すなわち、「自然に対し、共存すべきか、支配すべきか」という問と「他者に対しては、理解が重要か、自己主張が重要か」という問である。 自然との共存の回答率が高い国は、日本が第1位であり、スウェーデン、韓国がこれに続いている。低い国で目立っているのは、ベトナム、フィリピンである。 なお、安全、創造性、協調性など他の価値と比較して自然環境の価値をどれほど重視しているかについても、日本人は自然環境を世界一重視している(図録9516参照)。 他者に対しては、理解が重要という回答の比率の高い国は、ベトナムが第1位、日本が第2位、韓国が第3位となっている。低い国では、ベネズエラ、セルビア・モンテネグロが目立っている。 このように、日本の自然観、あるいは社会観においては、「共存」の意識が特に強いことが、国際比較上も明らかである(付注参照)。公害問題が浮上する前の高度成長期後半には日本でも、一時期、「支配すべき」という自然観が多くなったことがある点について日本人の自然観を長期的に追った図録4250参照。 また、自然観、社会観において、日本と韓国はほぼ同様の回答率を示しており、価値観を共有している点が目立っている。 自然観と社会観は、必ずしも、パラレルではない。例えば、ベトナムは、社会観では、日本以上に共存を重視しているが、自然に対しては、共存というより支配すべきだとする意識が強い。また、スウェーデン、チリは自然との共存を重視するが、人間関係では、必ずしも、自己主張を軽視していない。 米国は、自然観では中間的な意見であるが、社会観では、予想以上に、他者の考えの理解を重視している結果となっており、やや意外である。 インドは、他国と異なり、「その他」の回答率が、両方の問とも結構あり、独特な自然観・社会観を有しているのではないかと憶測させる。 なお、2つの問の対象国は、28カ国、ベトナム、日本、韓国、エジプト、インドネシア、米国、プエルトリコ、スペイン、スウェーデン、ナイジェリア、カナダ、南アフリカ、ジンバブエ、ウガンダ、タンザニア、中国、ペルー、インド、フィリピン、チリ、バングラデシュ、トルコ、アルゼンチン、イラン、メキシコ、ベネズエラ、セルビア・モンテネグロ、ヨルダンであり、欧米先進国、アジア、アフリカ、東欧、中南米諸国が混在している。自然観の問では、22カ国、社会観の問では27カ国が実際の対象となっている。 (付注) 1997年の米国のSF映画「ガタカ」では、冒頭、「私の考えでは、人間は母なる自然に手を加えようとするが、実は自然もそれを望んでいるのだ」(ウィラード・ゲイリン)という言葉が引用される。日本人としては、思いもよらない表現なのでドキッとする。 日本人の自然に対する感覚は、日本では人間が手を加える前の原始林を「鎮守の森」として残してきたことにもうかがわれる。これは中尾佐助によれば世界の中でもめずらしいことだという。 「日本人は信仰上、照葉樹林を神社林として現在まで残してきた...こんな自然保護はキリスト教にも回教にも、また本来の仏教にも、中国の道教にもなかったことである。もしこれらの宗教が日本の神道のように森を残していたならば、中国の黄河下流域のように原始林がほとんど一本残らず消失したり、ヨーロッパで自然植生に似た森林がほとんど消失してしまったようなことはおこらなかったであろう。この信仰上の理由で森林保護した日本文化は、自然保護として世界史上ユニークな成果を挙げてきたといえよう。」(中尾佐助「現代文明ふたつの源流―照葉樹林文化・硬葉樹林文化」朝日選書、1978年) そして照葉樹林の中で例外的に見栄えのする花が咲く木が儀礼用の植物になっている点については図録3990参照。 以下には、自然との関係について、1995年期の世界価値観調査の対象国も加えて国数を増し、大陸別に「自然との共存」志向の程度によって整理した表を掲げた。
例外もあるが、熱帯雨林や砂漠の風土を有する国で共存志向が相対的に少ない(征服が相対的に多い)という傾向が認められる。共存を許さない厳しい自然の国では、自然に従うか、自然を支配するかのどちらかを選択せざるを得ないのではなかろうか(図録9489参照)。
(2006年10月16日収録、2010年3月13日付注追加、2017年4月6日自然との関係について表形式整理表、2022年6月21日映画「ガタカ」引用文)
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