戦前は一時期京都全体で2千人近くに達したこともある(ただし、これは芸妓鑑札の発行数を記した警察資料によるものと考えれるため実際の稼動人数はより少ない可能性がある。1950年までの各花街の芸妓人数は巻末の表参照)。 京都の花街は戦後も五花街に島原、五番町、中書島が加わって、八花街が南座で合同事業をしたこともあるという。1958年売春防止法の全面施行で五番町が消滅、その後、1970年に中書島が花街を閉じ、1980年に島原が六花街から脱退して、現在の五花街となった(太田達・平竹耕三「京の花街―ひと・わざ・まち」2009年)。 存続している京都五花街のうちでは、祇園甲部が芸妓総数119人と最も多い(うち芸妓(げいこ)86人、舞妓(まいこ)33人)。祇園甲部に次いで宮川町、先斗町の芸妓数が50人以上と多くなっている。上七軒は28人、祇園東は17人と少ない。 東京の花街データは少し古いが、2005年段階では、向島が120人で最も多く、新橋の80人、浅草の54人、赤坂の39人、神楽坂の34人と続いている。芳町は15人と少ない。 各花街の由来や昭和初期の状況は図録7846参照。
(2014年5月4日収録、2015年4月15日戦前・戦後直後のデータ追加)
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