県人会により会員数から活動状況まで大きな差がある。

 最大会員数は北海道ふるさと会連合会の6万人であり、関東鹿児島県人会連合会の5万人、山梨県人会連合会がこれに続いている。

 古い情報だが、祖父江孝男「県民性―文化人類学的考察」(中公新書、1971年)によると、県人会の会員規定は県によってかなり異なるので会員数では、県人会の活発度は計れないとされる。すなわち、北海道、埼玉、山口、鹿児島では、会員になるためには会員2名以上の推薦が必要だが、その他では、県出身者なら誰でも会員にあることができる。また、会費完納者だけ会員とする県もあれば、当人が知らない間に在京が分かると自動的に会員になってしまう県もある。

 そこで、明治大学の祖父江ゼミが各在京県人会に聞き取り調査を行った結果を以下に図録化した。

 1〜3点で採点されている「活発度」、「機関誌」を合計した点数が満点の6点である県人会が6つある。すなわち、新潟、富山、石川という福井を除く北陸3県、及び長野県、山口県、長崎県である。「活発度」が3点だが、機関誌は2点の県としては滋賀県をあげられる。

 これらの県が県人会の活動がさかんな地域といってよいであろう。

 北陸3県の県人会の活動がさかんなのは、祖父江(1971)によれば次のような理由によるとされる。浄土真宗が古くから栄えたこれらの地域では固い信仰のせいで東北や北関東などと異なって「間引き」の習慣が抑えられ、そのため農村人口が過剰となり、江戸の末期から各地への出稼ぎが多くなった(現在の宗教分布については図録7770)。このため、東京でも、米搗き、大工、左官、豆腐屋、風呂屋(三助)、旅館女中、家庭のお手伝いさん、看護婦などに北陸出身者が多く、「同県人同士の団結とたすけあいはたしかに全国でももっとも強いとみてよいように思われる」(同上、p.18)のである。

 次に、山口県であるが、「防長倶楽部」という名をもつ県人会は「日露戦争の直後、明治38年に正式発足したものだといわれているが、最初のうち会員は高級官僚に県三役、そして少将以上の軍人に限られていたという。(中略)この伝統はいまでも残っていて、...いわゆる庶民層の人びとはほとんどみられない。政治家と政治家秘書、実業家がビッシリと名を連ねているのが特色であろう」(p.19〜20)。庶民的な北陸の県人会とは対照的な性格となっている。

 滋賀は近江商人の伝統の強いところで、日本橋の繊維問屋を中心としての結合が非常に強固といわれるが、近江商人のこすっからい性格がわざわいして内部にアシの引っ張り合いという難点もあるらしい。

 以上の県人会と対照的に、小藩分割、天領介在という江戸時代以来の地域性から県内のローカル性が強いのが長野の県人会であり、相互に対立する30余に及ぶ出身地域別の会と70余に及ぶ出身高校別同窓会などが群雄割拠して、これらを長野県人会連合会が統合しているかたちとなっている。「文化的にみても北信は越後に近く、上田は東京、松本は関西、伊那は教徒や中京の影響を受けているが、こうした点がどうも対立の原因らしい。これに加えて信州特有の理論好きとか、理屈っぽいとかいった性格があるため、「オレの国のほうが立派だわさ」と自慢しあう意識がますます強化されたとみてよさそうだ」(p.22)。

 長崎の県人会も似たような状況にあるという。


 各県人を会員数の多い順に並べると以下である。すなわち、海道ふるさと会連合会、関東鹿児島県人会連合会、山梨県人会連合会、岩手県人連合会、首都圏秋田県人会連合会、東京富山県人会連合会、長野県人会連合会、東京三重県人会、東京広島県人会、長崎県人会、東京熊本県人会、東京徳島県人会、関東香川県人会、東京滋賀県人会、東京宮城県人会連合会、東京佐賀県人会、東京新潟県人会、山形県人東京連合会、東京兵庫県人会、東京福島県人会、在京大分県人会、東京岡山県人会、東京青森県人会、東京岐阜県人会、東京福岡県人会、関東愛媛県人会、東京福井県人会、東京栃木県人会、東京島根県人会、防長倶楽部(山口県)、東京鳥取県人会、石川県人会、埼玉県人会、在京和歌山県人会、在京宮城県人会、東京沖縄県人会、東京奈良県人会、東海静岡県人会、関東高知県人会、茨城県人会連合会、東京愛知県人会、関西千葉県人会、群馬県人会連合会。

(2009年11月30日収録、2019年1月8日祖父江1971引用)


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