図では、素材産業と機械産業とを対比して掲げ、素材産業の例として化学(医薬品を含む)と鉄鋼をとりあげ、機械産業の例としてエレクトロニクス(通信・電子・電気計測工業)と自動車をとりあげた。 素材産業については、出発点の対北米の技術依存度は、機械産業ほど高くはなかったが、機械産業に先行するように低下を続け、1996年度には、対北米で依存から逆依存に転換した(プラスからマイナスへ転換した)。対欧州の逆依存転換は2000年代まで遅れる。 素材産業の個別業種として化学と鉄鋼について見ると同様の傾向にあるが、鉄鋼の場合は、すでに1980年代半ばには、依存状態から脱却しており、その後も逆依存状況を維持している(対欧州に関しては毎年の変動が激しく、また必ずしも逆依存の方向とはいえない−−【コラム】3参照)。鉄鋼産業の技術力については底堅いものがあるといえよう。逆に化学の場合は、先行して対北米、遅れて対欧州で依存状況から脱し、その後も比較的順調に逆依存状態を継続している。 機械産業については、素材産業に遅れて依存度が低下したが、近年は、急速な低下が特徴であり、1997年度には依存から逆依存に転換している。その後も安定的に逆依存状況を維持している。 機械産業の特定業種の動きとしては、エレクトロニクスと自動車が対照的な推移を示している。エレクトロニクスについては、他産業とは異なり、2000年代前半までは50〜80%の依存度で上下を繰り返しており、目立った低下傾向にはなかったのに対して、自動車産業は1980年代に急速に依存度は低下し、大きな逆依存の状況に転換した結果、1980年代後半からはマイナス80〜90%以上の逆依存の状況が継続している。 1970年代までは製造業のいずれの業種でも、対欧米の技術依存度が高かった。ほとんどで対ヨーロッパよりも対米の依存度が高かったが、図に見られる通り、自動車産業では、対米より対ヨーロッパの依存度が高かったし、いまでもその傾向の名残りが見られる。 【コラム】1で紹介したデンソー(旧日本電装)の事例には、当初、自動車産業が欧州に技術を依存していた状態から脱し、逆に、技術先進国への成長していった姿を見て取ることが可能である。 自動車産業に関しては、依存度が米国を中心に80年代半ばに大きく低下しているのが目立っているが、この時期は、日産テネシー工場(83年操業開始)、トヨタとGMの合弁のNUMMI工場(84年)、トヨタのケンタッキー工場(86年)、カナダ工場(86年)、マツダとフォードの合弁の米国フラットロック工場(87年)など北米現地工場が集中的に操業開始した時期と一致しており、対米進出に伴う技術指導が大きく作用していたと考えられる。 日米の経済摩擦を解消する目的もあった合弁事業のNUMMI工場については、1982年3月のトップ同士の大筋合意の後もトヨタとGM双方の経営陣の中で賛否の激論があったが、両社は4月から実務交渉に入った。「交渉に携わった柳沢享(81)によると、最後までもめたのは、トヨタが販売台数に応じてGMから受け取る技術料だった。合弁で造る車は「カローラ」最新型がベースで、日本から輸出するカローラとまともに競合する。トヨタに不都合な点が多く、技術料で譲るつもりはなかった。だがGM側は、技術料の高さに「うちが技術料のない田舎会社と思っているのか」と不快感をあらわにする。トヨタ社内には「決裂も辞さない」と強硬論が浮上する。豊田英二社長は「私には、反対への拒否権がある」と、不退転の決意を示す。自らスミスと手紙をやりとりし、妥協の姿勢を示した」(東京新聞「時流の先へ〜トヨタの系譜〜」2015年2月3日)。そして、1983年3月にGMが閉鎖したばかりのカリフォルニア州フリーモント工場を生産工場とする基本合意が調印された。 技術貿易には特許料とともに海外進出に伴う技術料が含まれているが、図に示されている自動車分野における出超から入超への短期間での逆転にはこうした背景があったのである。上記の通り、この場合の技術料には生産工場の立ち上げ指導の一括支払いだけではなく、販売台数に応じた支払いが大きかったことがうかがえる。生産技術が大きい役割を果たす自動車技術については、特許料の支払いによる先進的な要素技術の導入が重要な役割を果たす化学やエレクトロニクスの分野とは異なって、国境を越えた工場進出が技術の海外移転で重要な役割を果たすので、日米経済摩擦を契機として急に巻き起こった工場の海外進出ブームが技術貿易の収支の急激な変化をもたらす格好となったのであろう。 なお、米国との技術力逆転にはこうした対米進出が大きく影響しているが、欧州との逆転と同様、部品産業も含めた先進的な欧米企業と地道な技術競争の成果が基礎となっている点は、【コラム】2のアイシン・エィ・ダブリュの事例を参照のこと。 エレクトロニクス分野は、いわゆるIT技術、ソフト技術が大きな構成要素となっている分野であり、米国の開発優位の状況がこうした技術貿易の面にもあらわれていたといえる。プリンターやカメラなど精密機械の分野も図には示していないが同様の傾向にあった。 エレクトロニクス産業における技術依存状況の継続は、技術輸入におけるシェアの大きさから注目されるが、さらに、こうした技術輸入によって可能となっている半導体、通信機器、電子部品などのエレクトロニクス製品がその他の日本製品のパーツとして日本産業全体を支えているという実態からも重要な事実となっている。 鉄鋼業や自動車産業が1980年代半ばに対北米自立を達成する一方で、エレクトロニクス産業に関しては、1980年代半ば以降、対北米依存が横ばい、ないし上昇の傾向にあるが、マスコミ等で注目された「日米逆転」はこうした自動車産業の動きを反映したものであり、1990年代に話題となった「日米再逆転」は、エレクトロニクス産業の動きを背景としていると考えることが出来る。さらに、近年、話題になることが多い素材産業と自動車産業の好調も両産業における技術優位を背景にしていたと考えられる(素材と自動車の好調は輸出シェアにもあらわれている−−図録4750参照)。 こうした動きは、プロセス技術、加工技術、組立技術といった製造技術面で日本が欧米に追いつき、追い越した反面、電子技術、コンピューター・ソフト、インターネット技術といった要素技術面の重要な分野で、なお、後れをとっていることのあらわれであったといえよう。 また、こうした動きは、機械産業における国際競争力に関して、摺り合わせ型技術分野が日本ではなお強く、モジュール型技術分野は弱体化しているという点とも関連が強い(図録4800参照)。 ところがエレクトロニクスに関しても2000年代後半から依存度が下降し、対北米では、ついに、2015年度に過去はじめて逆依存に転換し、対欧州では2010年代から逆依存が基調になっているというのが最近の傾向である。これは、当初は、外貨建で買っている技術の対価が円高傾向のなかで円換算で縮小したことによる2007年以降の技術輸入額の急減による影響だったと考えられるが、円安傾向に転じた2013年以降も逆依存へ向かう傾向は止んでおらず、やはり、長期的な技術力向上の成果と見られよう。
(2007年8月13日更新、2010年2月26日更新、2013年2月13日更新、5月21日コメント修正、12月19日更新、2014年9月29日自動車産業の対欧依存コメント追加、10月4日日本電装の事例追加、10月14日アイシン・エィ・ダブリュの事例を追加し、日本電装の事例とともにコラムに整理、12月12日更新、2015年1月27日愛知製鋼事例追加、2月3日NUMMI工場設立経緯追加、2016年2月9日更新、2003年度以降も化学に医薬品を追加する修正、2017年1月10日更新、2018年12月19日更新)
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