これを見ると、映画が公開された当時に、雑誌記事に取り上げられた件数は、「稲妻」と「妻の心」が8件で最も多い。成瀬巳喜男の最高傑作とされることが多く、小津安二郎によって「はじめて大人の鑑賞に耐えられる作品が日本に生まれた」と評された「浮雲」は4件とその半分である。このようなことは、さして驚くに当たらない事実であるが、全く興味が沸かないことでもないので、ここで取り上げた次第である。 次には図録5669からの再録で代表作「浮雲」の観客層データを掲げた。中年女性に人気があることが分かる。 以下には参考資料として、映画評論家などによる成瀬巳喜男監督映画のベスト作品を掲げた。
「小田原に着いて映画館に入ったら、もう「浮雲」は後半の部分に差しかかっていた。二本立ての上映なので、そのあと、もう一本の作品があった。それを見終えて、また「浮雲」を頭から見直したのだが、さっき見始めた個所へ来ても、二人は出ようとしない。結局、もう一度、最後まで見届けた。 映画館を出てから、二人とも、口数が少なくて黙りがちだった。そのうち、小津先生がポツリと、こう言われたものだ。「ことしのベストワン、これで決まりだな」と。その予言通りに、「浮雲」は、その年、昭和三十年のキネマ旬報のベストテンのトップになったのだった。」 成瀬映画を好んで見るようになったキッカケについて一言ふれておくと、大瀧詠一氏の調査で「秋立ちぬ」(1960)の舞台となった旅館のモデルが私の祖母が創業した「瀬川旅館」と判明していたのを川本三郎氏の新潮45の連載記事で偶然に知り、私の著書に関しインタビューに来られた新潮45の編集者のご好意でその映画を観ることができたからである。その後、この連載は本になった(川本三郎「成瀬巳喜男 映画の面影」新潮選書、2015年)。
「秋立ちぬ」鑑賞の参考になるかとも思うので、「瀬川旅館」に関して私が聞いている個人的な思い出を記しておく。
なお、1905(明治38)年生まれの成瀬が通った四谷の鮫ケ橋小学校には貧民が多かった(注)。「あるレポートには大不況下の昭和初期、四谷鮫ヶ橋小学校児童398人のうち残飯を主食にしている者が104人」という事実が記されていたという(紀田順一郎「東京の下層社会」新潮社、1990年、p.62)。校区の鮫ケ橋谷町ほかは明治以降の3大貧民窟の1つというイメージを払しょくするため1943年に若葉町と改称された。私が幼稚園・小学生低学年の時に住み、本籍地になっていたのもこの若葉町であり、その面でも縁を感じる。 (注)鮫ケ橋及び同小学校について「新撰東京名所図会第三十九編四谷之部上」(明治36年)p.25には以下のように記述されている。なお、鮫橋尋常小学校は四谷第七尋常小学校に統合され、その敷地は現在若葉公園(昭和10年開園)となっている。 ●貧民窟 四谷鮫河橋は、芝新網、下谷山伏町と並びて、東京市中に於ける三大貧民窟と称せらる。谷町を中心として凡そ卑湿の地、到る所、軒低く、壁壊れ、数千の貧民、蠢々如として纔かに雨露を凌ぐの状、愍(あわれ)なり。質屋は唯一の機関にして、九尺間口の米屋あり、薪炭商あり、酒舗、魚戸、古着屋、日用の肆、欠く所あらず、以て一社会を組織せり。 ●東京市鮫橋尋常小学校 鮫河橋谷町1丁目42番地、俚俗闇坂(くらやみざか)下に在り、明治36年8月新築落成し、9月21日授業を開始せり、当校は市立の貧民学校にして、授業料を徴収せず、且つ児童が学校にて用いる書物、筆、紙、墨、石板、石筆、同拭等を始め、一切の品々を貸与して教育の途を開く。 成瀬巳喜男映画には必ずといっていいほど出演する脇役俳優として加東大介と中北千枝子が目立っており、高峰秀子や上原謙、原節子、森雅之といった主役級の常連俳優以上に成瀬映画を特徴づけている。中北千枝子は成瀬作品の最多登板俳優である。私は、成瀬監督の希望する線に沿って、演技というより存在感で映画を引き立てている中北千枝子に格別の魅力を感じたので、以下に、「稲妻」における印象的な登場シーンをかかげるとともに彼女が出演した作品をリストアップした。
検索のため、全作品を掲げると、チャンバラ夫婦、純情、不景気時代、愛は力だ、押切新婚記、ねえ興奮しちゃいやよ、二階の悲鳴、腰弁頑張れ、浮気は汽車に乗って、髭の力、隣の屋根の下、女は袂を御用心、青空に泣く、偉くなれ、蝕める春、チョコレートガール、生さぬ仲、菓子のある東京風景、君と別れて、夜ごとの夢、僕の丸髷、双眸、謹賀新年、限りなき舗道、乙女ごころ三人姉妹、女優と詩人、妻よ薔薇のやうに、サーカス五人組、噂の娘、桃中軒雲右衛門、君と行く路、朝の並木路、女人哀愁、雪崩、禍福 前篇、禍福 後篇、鶴八鶴次郎、はたらく一家、まごころ、旅役者、なつかしの顔、上海の月、秀子の車掌さん、母は死なず、歌行燈、楽しき哉人生、芝居道、勝利の日まで、三十三間堂通し矢物語、浦島太郎の後裔、俺もお前も、四つの恋の物語第二話、春の目ざめ、不良少女、石中先生行状記、怒りの街、白い野獣、薔薇合戦、銀座化粧、舞姫、めし、お国と五平、おかあさん、稲妻、夫婦、妻、あにいもうと、山の音、晩菊、浮雲、くちづけ第三話、驟雨、妻の心、流れる、あらくれ、杏っ子、鰯雲、コタンの口笛、女が階段を上る時、娘・妻・母、夜の流れ、秋立ちぬ、妻として女として、女の座、放浪記、女の歴史、乱れる、女の中にいる他人、ひき逃げ、乱れ雲。 (2014年10月5日収録、10月11日石田助監督によるランキング追加、10月13日キネ旬ベスト・テン追加、10月16・17日コメント改良、2015年1月12・24・30日中北表コメント改良・追加、2016年3月20日白い野獣における中北配役コメント、2017年7月10日佐藤忠雄「戦後日本映画230選」、2019年3月14日中北「夫婦」、2021年3月29日中北「めし」補訂、4月15日補訂、表(注2)、4月16日瀬川旅館の思い出、「稲妻」中北千枝子登場シーン、5月12日鮫ケ橋小学校、5月16日鮫ケ橋及び同小学校の(注)、11月7日笠智衆思い出話、11月20日流れる解説、12月18日娘・妻・母解説、2023年7月3日女の歴史解説補訂、12月12日妻解説改訂、2024年6月1日おかあさん解説補訂等、6月9日「浮雲」観客層)
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