発売年 |
商品名 |
会社名 |
備考 |
1884 |
三ツ矢サイダー |
アサヒ飲料 |
- 1884年 炭酸水を飲む習慣のある訪日欧米人向けに多田村平野(兵庫県川西市)の天然鉱泉から炭酸ガス入りの水を採取(政府が場所を選定、民間に事業売却、源満仲の放った矢に由来する多田村の言い伝えから「三ツ矢印平野水」として販売)
- 1907年 事業を引きついだ帝国鉱泉(後にアサヒビールの前身・大日本麦酒が吸収)が改良、シャンペンサイダーの風味と着色の「平野シャンペンサイダー」を販売。流行する。
- 1968年 現在の商品名になり、翌年、透明にして子供が飲むのに安心のイメージを広げる
- (資料)毎日新聞「もとをたどれば」2016.3.16
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1908 |
カゴメトマトケチャップ |
カゴメ |
- 1899年 カゴメ創業者蟹江一太郎が兵役時の上官の勧めで西洋野菜のトマトの栽培開始(青臭いと敬遠され売れず)
- 1903年 トマトソース製造着手
- 1908年 日本人の好みにあう国産ケチャップ製品化
- 1914年 カゴメ前身「愛知トマトソース製造」設立
- 1917年 籠の目状の三角形二つの組み合わせのカゴメ印商標登録
- 1963年 社名をカゴメに変更
- 1983年 現在のマークに変更
- (資料)毎日新聞「もとをたどれば」2019.1.13
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1913 |
ミルクキャラメル |
森永製菓 |
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1919 |
カルピス |
カルピス |
カルシウムの「カル」とサンスクリット語で「最上の味」を意味する「サルピス」の「ピス」が名前の由来のカルピスは2019年に発売100周年を迎えた。カルピスは、創業者である三島海雲(かいうん)が、雑貨商として訪れた内モンゴルで体調を崩した際に助けられた現地の遊牧民の常用する「酸乳」にヒントを得て、帰国後、発明、創製した日本最初の乳酸飲料で、1919年にラクトー(現カルピス食品工業)から発売した(毎日新聞「もとをたどれば」2019年7月14日)。 |
1922 |
グリコ |
江崎グリコ |
佐賀市の薬種商江崎利一は「チフスにかかった長男がカキの煮汁で回復したのを機に、子どもの健康に役立つ食べ物を作りたいと一念発起。グリコーゲンを使ったキャラメルを開発、完成した商品にグリコと名付けた」(東京新聞、2022.2.11)。先行して流行していた黄色い箱の森永「ミルクキャラメル」に対抗した赤箱、ゴールインマーク、1粒300メートル突のデザイン(下図)は当初より。
◇グリコ歴代のおまけと歴史
年代 |
おまけ 画像(江崎グリコHP) |
事項 |
1922
〜26年 |
たばこカードをヒントにした絵カード |
1921創業者江崎利一がグリコーゲン入り(商品名の由来)の栄養菓子であるハート型キャラメル発売を目指し佐賀から大阪へ移転し江崎商店設立
1922グリコ三越で初販売(2月11日江崎グリコ創立記念日) |
1927
〜34年 |
1930大阪造幣局で作られたメダルが人気 |
1927豆玩具を封入。おまけつきグリコの誕生
1929おもちゃ小箱(下部)ができる |
1935
〜40年 |
オリジナルのおもちゃ登場 |
1935大阪ミナミの戎橋にゴールインマークのネオン塔建設(高さ33メートル)
1937上部におもちゃ小箱 |
1941
〜42年 |
戦争により材料が乏しくなり、紙や粘土が主流 |
1942グリコ生産中止(7月) |
1947
〜48年 |
物資不足のためクレヨン、消しゴム、チョークなど実用品が人気 |
1947グリコ生産再開 |
1949
〜52年 |
物資統制時代がおわり連結できる乗り物や指輪、人形など種類が豊富に |
1950おもちゃ小箱復活 |
1953
〜57年 |
セルロイド登場、色鮮やかに。木とブリキの組み合わせの精巧なおもちゃ加わる |
1953製造上の理由からハート型が角形へ
1955大人向けグリコとして「アーモンドグリコ」発売(“1粒で2度おいしい”) |
1958
〜66年 |
セルロイドに代わりプラスチックが登場。1965年ごろからは鉄人28号、遊星少年パピイなどアニメキャラクターが登場 |
1962年には男の子用、女の子用とわけておもちゃを入れるようになる |
1967
〜80年 |
プラスチックが主流に。1974年ごろからは、動きや形に変化があるカラフルで大きなおもちゃに |
1972創立50周年記念事業の一環として「江崎記念館」を設立 |
1981
〜86年 |
男の子用はSF、女の子用はメルヘンが主流 |
1984グリコ・森永事件
1985ハート型成型・包装機の開発に成功。ハート型のグリコが復活 |
1987
〜93年 |
おもちゃ作家による創作おもちゃ、手づくり感のあるおもちゃが中心に |
1992ロゴ変更(旧:ゴシック体「Glico」→新:筆記体「glico」)。 |
1994
年以降 |
組み合わせて遊ぶブロック玩具やスポンジと紙で組み立てる動物といったシリーズが主流に。1998年「木のおもちゃ」のシリーズでは木のぬくもりが好評 |
1998年大阪・戎橋のグリコ巨大ネオン看板が6代目にリニューアル(2003大阪市指定景観形成物に)
2014年グリコ看板LEDにリニューアル(下の図参照) |
(資料)江崎グリコHP「江崎記念館」、月刊なるほドリ2014年3月(毎日小学生新聞2013年1月26日)
(資料)東京新聞2014.10.24ほか ↑クリックすると江崎グリコHP「道頓堀グリコネオン」展ニュースページへ |
1924 |
元祖柿の種 |
浪花屋製菓 |
◇柿の種から柿ピーへ
大正年間 |
浪花屋製菓(長岡市)が女将さんが偶然踏んでしまって出来た半円形の抜き型で「柿の種」の形を作り商品化 |
1966年 |
豆屋がピーナツの増量材として柿の種を使っているのを見て亀田製菓(新潟県亀田町)の社長が「ピーナツ入り柿の種」(以下「柿ピー」と略)の発売を決定 |
1977年 |
食べやすく6つの袋に小分けした6分包の柿ピー発売開始 |
1986年 |
柿ピーのピーナツを小粒の米国産から大粒の中国産に変え、重量比率も7:3から6:4に。他の比率も商品化したが6:4のみ売れる |
1980年代後半 |
缶ビール・ブームに乗って柿ピーが飛躍的に売れ出す |
2003年 |
「柿の種」市場の亀田製菓のシェア63% |
2013年 |
亀田製菓、2008年から販売していた「柿の種」(商品名「カメダ・クリスプ」)について対小麦アレルギーのグルテンフリー・ブームに対応した製法を開発し、人気上昇(毎日新聞2015.7.5) |
(資料)堀井憲一郎「ホリイのずんずん調査 かつて誰も調べなかった100の謎 」文芸春秋、2013年、p.195 |
1925 |
キユーピーマヨネーズ |
キユーピー |
◇キユーピーマヨネーズ沿革
1912年 |
創始者である中島董一郎、ロンドンでマーマレードに出会う |
1915年 |
ニューヨーク滞在中にポテトサラダに使われていたマヨネーズに出会う |
1918年 |
中島商店(現中島董商店)設立、蟹缶詰、鮭缶詰発売 |
1922年 |
発売に先行してキユーピーマーク商標登録 |
1925年 |
キユーピーマヨネーズ発売(国産初、卵黄タイプ) |
1932年 |
アヲハタママレードの発売 |
1958年 |
現在のポリボトル容器のマヨネーズ販売(従来は瓶容器) |
1968年 |
全卵タイプのマヨネーズを味の素が発売 |
1981年 |
タイ国内でマヨネーズの製造・販売を開始(初の海外進出) |
(資料)キユーピー株式会社「会社の歴史」ほか |
1931 |
都こんぶ |
中野物産 |
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1933 |
ビスコ |
江崎グリコ |
1933年、酵母入りビスケット菓子として誕生。創業者江崎利一氏が胃腸の働きを活発にする酵母に着目し、ビスケットに使えないか研究を開始。酵母は熱に弱いため、ビスケットそのものではなく、間に挟むクリームに練り込む手法を考案。「酵母ビスケット」=「コービス」をひっくり返して命名。1980年、入る成分が酵母から乳酸菌に(毎日新聞「もとをたどれば」2017.10.22) |
1935 |
ヤクルト |
ヤクルト本社 |
創始者で、医学博士の故・代田(しろた)稔氏(ヤクルト元会長)が、京都帝国大学在学中に、胃液などの消化液で死滅することなく、生きたまま腸内に届き、体に良い働きをする乳酸菌として強化・培養に成功したL・カゼイ・シロタ株を飲料として販売したのが始まり。ヤクルトの名称は、エスペラント語で「ヨーグルト」を意味する「ヤフルト」を基にした造語(世界の人の健康を願って命名)(毎日新聞「もとをたどれば」2017.12.24) |
1951 |
ミルキー |
不二家 |
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1952 |
お茶づけ海苔 |
永谷園 |
18世紀に永谷宗七郎(宗円)は、「煎じ茶」を革新して現代につながる煎茶である宇治茶を生み出し、これを江戸で売りさばいた茶商の山本嘉兵衛(山本山の祖)は大きな富を得た。永谷家の子孫の一人である「永谷嘉男氏が東京都内で老舗茶屋を営んでいた1952年、飲食店で食べたお茶漬けを「家庭でも」との思いで商品化した「江戸風味お茶づけ海苔」が(永谷園本舗の)創業のきっかけとなった。(中略)包装紙の「江戸風味」の表記を「永谷園の」に変えブランドを確立した。64年10月には「松茸の味お吸いもの」を発売。当時、関西で一般的だった「すまし」の文化を全国に広げた。10年後には風味を向上させた即席みそ汁「あさげ」を発売し、インスタントのイメージを覆した。その後も「すし太郎」や「麻婆春雨」などのロングセラー商品を次々に世へ出し、92年には社名を「永谷園」に変更。製麺業者を吸収合併するなど多業種化を進め、2015年に持ち株会社化した。現在はシュークリーム専門店「ビアードパパの作りたて工房」も運営する」(毎日新聞「もとをたどれば」2019.6.2)。NHK放送では大きく映さないが、大相撲の懸賞幕でも、江戸情緒をかもす歌舞伎舞台の3色の定式幕イメージの包装紙はお馴染みである。 |
1957 |
コカ・コーラ |
日本コカ・コーラ |
コカ・コーラは南北戦争後の米国で誕生した。南北戦争で負傷した兵士にモルヒネを投与したが、その結果、モルヒネ中毒となる者が生じ、薬剤師ジョン・ペンバートンは、モルヒネ中毒を治す効能があると考えられたコカインとワインにコーラの実から抽出したエキスを混ぜて薬用飲料とした。やがてワインをシロップに代えて「コカ・コーラ」となり、コカインの使用もなくなった。そして、禁酒法の時代にはアルコールの代用として米国人に強く支持され、その後、第二次世界大戦では、糖分と炭酸で活力源、かつ敢闘精神をたかめる兵士用飲料として活用された(玉造潤「食は世界の歴史をどう変えたか」KAWADE夢文庫)。最後に駐留米軍の影響で日本人にもコカ・コーラが普及することとなる。このような来歴は無視されコカ・コーラの名称の由来は単に「語感がいいから」とされている(同社Q&A)。 |
1957 |
ホットケーキミックス |
昭和産業・森永製菓 |
ホットケーキはパンケーキの一種で主原料の小麦粉に砂糖などを混ぜたもの(プレミックス)をいうが、1848年に米国ではじめてつくられ、日本では1923年にパンケーキがデパートの食堂で「ハットケーキ」として提供され、1931年にホーム食品が「ホットケーキの素」を発売。これが、日本におけるホットケーキミックス第1号という(Hint-Pot記事)。現在主流の「ホットケーキミックス」は昭和産業と森永製菓が1957年に販売したそれぞれ「ホットケーキの素」、「森永ホットケーキの素」がはじまり。 |
1958 |
チキンラーメン |
日清食品 |
◇即席麺(インスタントラーメン)略史
1958年春 |
東明商行、スープに浸した麺を油で揚げ乾燥させた味付け即席麺「長寿麺」販売 |
1958年8月 |
サンシー殖産(現、日清食品)、スープを吹き付けた麺を油で揚げ乾燥させた味付け即席麺「チキンラーメン」販売 |
1960年 |
長寿麺、第五次南極観測隊の保存食 |
1961年8月 |
日清食品創業者安藤百福氏、東明商行張国文氏から長寿麺の特許を買い取り |
1962年 |
スープ別添タイプのインスタントラーメン登場 |
1971年 |
カップヌードル発売(袋麺に加えてカップ麺登場) |
2003年 |
チキンラーメンに「たまごポケット」の発明 |
(資料)東京新聞2015年6月12日ほか |
1958 |
シーチキン |
はごろもフーズ |
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1960 |
ネスカフェ |
ネスレ日本 |
2013年にインスタントコーヒーからレギュラーソリュタブルコーヒーにジャンル切り替え |
1960 |
のりたま |
丸美屋食品工業 |
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1963 |
バーモントカレー |
ハウス食品 |
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1964 |
かっぱえびせん |
カルビー |
◇かっぱえびせんの歩み
1949年 |
カルビー前身の松尾糧食工業設立(未利用の食糧資源の活用が経営理念) |
1955年 |
コメの代わりに安い米国産輸入小麦を使った「かっぱあられ」発売。「カルビー製菓」に社名変更(社名は、カルシウムのカルと、ビタミンB1
のビーを組み合わせた造語) |
1964年 |
廃棄されることもあった小エビを使った「かっぱえびせん」発売(「かっぱあられ」のシリーズ27番目) |
1966年 |
東南アジア・ハワイ輸出開始 |
1969年 |
「やめられない、とまらない」CM開始 |
1970年 |
年間売り上げ100億円を突破 |
1973年 |
「カルビー」に社名変更 |
1986年 |
フレンチサラダ味発売 |
2003年 |
塩分を抑えた「1才からのかっぱえびせん」発売 |
2006年 |
瀬戸内希少天然エビを使った「かっぱえびせん匠海(たくみ)」
(西日本事業本部開発)のインターネット販売(翌年から全国で店頭販売) |
2007年 |
エビ増量は不評につき元に戻す(東京新聞) |
2014年 |
チョコでつつんだ「かっぱえびせんYUTTE」(中日本事業本部開発)
バレンタイン向け限定販売(1月) |
(資料)毎日新聞2014年1月3日、2016年6月19日、2019年3月3日、日経MJ2014年3月19日(2006、2014)ほか |
1964 |
味ぽん |
ミツカン |
◇味ぽんの歩み
1804年 |
中埜酢店(現ミツカングループ本社)の創業者が酢づくりを開始(図録5407老舗企業一覧参照) |
1960年 |
「ぽん酢」発売 |
1964年 |
「ぽん酢<味つけ>」(現「味ぽん」)関西限定発売 |
1967年 |
商品名を「味ぽん酢」に変更(CMでは「味ぽん」と呼称) |
1977年 |
姉妹品「ゆずぽん」発売 |
1979年 |
商品名を「味ぽん」に変更 |
1989年 |
家庭用ぽん酢商品の年間出荷量5000万本(360ml入り換算)突破 |
1990年 |
CMに西田敏行さん起用 |
2001年 |
CMに唐沢寿明さん起用 |
2011年 |
姉妹品「ぽんジュレ」発売 |
(資料)毎日新聞2014年1月3日 |
1964 |
ガーナミルクチョコレート |
ロッテ |
チューインガムを主力としていたロッテがチョコへの進出にあたり「もっとまろやかなコクのある風味」で先行商品と差別化することを目指し、欧州最高峰のチョコ技師と呼ばれたスイス人マックス・ブラック氏を招聘し、工場設計から原料選択まで全ての工程を一任して開発した商品(東京新聞2014年1月9日) |
1965 |
オロナミンC |
大塚製薬 |
|
1966 |
ポッキー |
江崎グリコ |
1966年発売のチョコレート菓子。板チョコがチョコ市場を席巻していた時代に、細長い棒状のプレッツェルをチョコで包み、持つ部分を残すという発想がうけて大ヒット。現在、国内で年2億箱、海外約30カ国で年3億箱を販売し、グリコによると、発売以来の累計で100億箱を突破しているという。グリコは2012年にスイス・ネスレの「キットカット」や米モンデリーズの「オレオ」に肩を並べる菓子にするという「ポッキー世界ブランド化計画」を宣言(朝日新聞2014年1月22日)。1972年に生産を開始したタイでは、菓子市場は、腹を満たすためのものという位置づけからビスケット類が中心。甘くないスティックにチョコレートを薄く塗ったポッキーは、適度な甘さと手軽さが受けオレオやキットカットを寄せ付けず、ビスケット部門1位の座を堅持(同1月20日)。 |
1968 |
ボンカレー |
大塚食品 |
定番は1978年発売のボンカレーゴールド(初代ボンカレーは沖縄販売のみ)。発売50周年の2018年までに約30億食が売れた「国民食」ともいうべき大塚食品のボンカレーは、世界初の市販用レトルト食品として1968年に誕生した。今は普及したパウチ詰めの調理済み食品であるが、保存料なしで長期間、常温保存する技術は難しく、開発に当たっては、試行錯誤を繰り返した。「ブレークスルーをもたらしたのは、21年創立の製薬工場を起源とする大塚グループが培ってきた点滴液の殺菌技術だった。気密性の高いパウチに詰めたカレーを専用の加圧釜で殺菌したことで、「失敗しない上においしい、世の中にない商品ができた」(食品事業部の岡部昭副部長)。アルミ箔(はく)製袋の採用で、当初は2〜3カ月だった賞味期限も2年に延びた」という((毎日新聞「もとをたどれば」2019年9月8日)。発売開始から55年を迎えた2023年1月に「世界最長寿のレトルトカレーブランド」として、ギネス世界記録に認定。「他社からもレトルトカレーが販売される中、ボンカレーがロングセラーとなった理由を中島さん(大塚食品製品部)は「時代に合わせた進化」と分析する。78年には本格的な洋食になじんできた日本人の趣向に合わせ、香辛料やフルーツを多く使った「ボンカレーゴールド」の販売を開始。昨年からはヴィーガン(完全菜食主義者)も食べられる動物性原材料不使用の「ボンカレーベジ」を発売した」(スポーツ報知2023.2.12)。 |
1968 |
カール |
明治 |
|
1973 |
キットカット |
ネスレ日本 |
|
(資料)東京新聞2013年10月19日ほか |