元号の予想としては、下表のように「安」が入ったものが多かった。実際の新年号は「令和」に決まったが、「令」という字は年号としてははじめての採用だった。なお、下の企画で、2文字のどちらかに「令」が入る予想は5通りだったが、正解そのものはゼロだった。
歴代の元号の一覧表は図録3998dに掲げたので参照されたい。 日本に元号が登場したのは、飛鳥時代、孝徳天皇の「大化」(645年)がはじまりである。いわゆる「大化の改新」で人心一新のためといわれる。その6代後、文武天皇が公布した大宝律令(701年)で国号を日本とする律令国家が誕生し、公文書にはじめて元号が登場した。 701年に、それまで海外に求めるしかなかった金が日本列島ではじめて対馬国から産出・貢上された。これを祝って、同年が大宝元年とされた。大宝とは金のことである。断続的だった元号が制度化されて現在まで続いているのは大宝以降である(吉田孝「日本の誕生」岩波新書、p.127)。 ところが、この対馬の産金は輸入物を偽った偽物だった。「日本の年号制度は、その出発から詐欺にあったのである」(同書、p.128)。 「大宝」だけでなく、武蔵国から和銅(自然銅)が献じられたのを祝った「和銅」、陸奥国から産出した黄金が大仏の鍍金のため献上されたのを喜んでつけた「天平感宝」と、銅・銀・金など鉱物の出現が祥瑞(しょうずい)とされて改元が行われたのは中国に例がなく日本だけの特色といわれる(同書)。 この後、元号のルーツの中国で清朝が滅び元号が消えた(1912年)他、朝鮮やベトナムでも王制が終焉して元号が使われなくなったが、日本でのみ世界で唯一元号が使われ続け、1300年以上を経て、今に至っている。 図には、これまでの元号で使用された漢字のランキング、元号の出典、そして主な改元理由別の回数をグラフにした。 最多漢字は「永」、最も多い引用出典は「尚書=書経」、最頻理由は「災異改元」となっている。 「一世一元制」となった明治以降は、「代始(だいはじめ)改元」のみであるが、「それ以前は地震や大火、飢饉、戦乱、凶兆とされるハレー彗星の飛来などを機に、災厄を断ち切る名目で災異改元が頻繁に行われた」(東京新聞2018年3月19日)。 戦前の改元は「天皇により行われてきたが、現行憲法では天皇は国政に関する権能をもたず元号法に基づいて政令で定められる」(同)。 主に使うのが元号か西暦かについては図録5239c参照。 (2018年5月1日収録、2019年3月30日大宝の由来、3月31日鉱物出現祥瑞改元、4月1日新元号予想ランキング、4月2日令和採用)
[ 本図録と関連するコンテンツ ] |
|