この継続調査の中で、憲法上の国民の権利に対する日本人の認識度合いを調べている。憲法上国民の権利と定められている3つの権利、すなわち「生存権」(第25条)「表現の自由」(第21条)「団結権」(第28条)、および権利とは定められていない3つの事項、すなわち「納税」(第30条で法律による定めを前提に権利でなく義務として規定)、「右側歩行」「目上に従う」(以上2つは憲法の定めなし)に関し、それぞれ憲法上の権利かどうかを訊いているのである。 学校の試験問題のような風変わりな意識調査であるが、結果は非常に興味深い。 憲法上の国民の権利である3つの権利について最新結果をみると、「生存権」は74%と多くが権利と見なしているが、「表現の自由」と「団結権」は、それぞれ、30%、18%と権利と見なす者、権利だと知っている者は少数派となっている。 1973年当時からの動向を見ると生存権に対する認識は高まっているが、あとの2つの権利に対する認識は、むしろ、かなり顕著に低下している。 「生存権」については1978年から83年にかけて急に認識が深まり、その後はほぼ横ばいとなっている。2013年から18年にかけてはやや低下している。78年から83年にかけての急増の背景としては、1981年に生活保護制度の適正運用が課題となり(厚生省123号通知)、1983年にかけて第2次臨調で福祉見直し論が盛んとなった情勢があげられよう(図録2950)。2008年〜2013年になって、やや上昇しているのは、格差や貧困に対する関心の高まりと関連しているのであろう。18年にやや低下してのは格差や貧困に対する関心がやや空回りするようになったせいかもしれない。 一方、「表現の自由」と「団結権」については、認識の長期低落傾向が否めないが、それらの権利があらためて気づくことのない空気のような存在になってきたためとも考えられる。 逆に言えば、「生存権」は空気のような存在ではなく、常に意識せざるをえない国民の権利であると考えることもできる。 次ぎに、権利と定められていないのに権利だと誤解しているかどうかの3項目であるが、一見奇妙なのは、「納税」を国民の義務ではなく国民の権利と誤解している者が多い点である。最新結果では44%が権利だと思っている。しかも、誤答率は1973年当時から徐々に上昇してきていた。 国税庁など徴税側にとっては都合の良い誤解が増えているともいえるが、「生存権」への回答結果とも考え合わせると、国家からの保護を受ける権利の前提として納税しているのであるから、一種の権利のようなものと国民は考えているのであろう。国民と国家の一体化が進んできている指標として捉えること、あるいは憲法を政府を縛るものというより、国民の指針として考える見方が強まっていると捉えることも可能である。 憲法上の権利でも何でもない単なる交通ルールの「右側歩行」と法的規範とは異なる道徳律である「目上に従う」についてはさすがに誤解は少なく、誤解が多くなっている訳でもない。 正答率の低下については、学校での憲法教育の如何による影響で説明したくなる向きもあろうが、項目による正答率のレベルの違い、さらに項目による正答率の上昇、下落の違いが大きいことから、教育上の要因による説明は余り説得的ではなかろう。 それより、憲法改正への動きが迫ってきている2018年に、正解、誤解を含むすべての問で回答率が13年から低下しているのは何故であろう。現行憲法への判断を控える傾向が国民に生じているのであろうか。 (2010年4月30日収録、2014年5月20日更新、2019年1月9日更新)
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