各人が属している国が、社会階層的な変動の激しい社会か、それとも階層間の変動の乏しい停滞的な社会かは関心を引くテーマである。また、変動が上昇方向なのかどうか、すなわち成り上がりや出世が多い社会なのか、あるいは地位下落が多い社会なのかも興味を引くテーマである。

 国際的な継続的共同調査であるISSP(International Social Survey Program)の2009年調査(テーマ「社会的格差」)は、意識にあらわれている限りを対象にしているものであるとはいえ、こうした点を巧妙な設問で明らかにしている。すなわち子どもの頃の父親と比べて各人の現在の仕事の社会的地位は上昇したかどうかを訊いているのである(調査対象は各国の成人男女。何歳以上かは国により異なり、日本の場合は16歳以上。図の集計対象は男性就業経験者のみなので実際上の年齢はもっと高い。設問文はページ末尾に掲載)。

 結果も、また、少なくとも日本人にとっては驚くべきものである。すなわち世界38カ国の中で日本人だけが父親より社会的地位が低下したと思っている者が上昇したと思っている者より多いのである。しかも地位下落は4割と地位上昇の3割より1割も多いのだ。図を見ていただければ一目瞭然であるが日本みたいな国は他にない。どの国でも現在の世代の人間は少しは自分の父親を凌駕していると思っているのに日本だけが父親の世代には敵わないと思っているのだ。日本社会の閉塞感を何よりも端的に示した意識調査結果といえよう。

 日本と正反対なのが中国である。中国では7割が父親の仕事より高い仕事に就いていると考えており、この値は2位のポルトガルの60.1%、3位フランスの57.3%を大きく上回っている。

 以下に変動が大きい社会か、あるいは停滞的な社会かを「地位上昇+地位下落」(すなわち地位不変の少なさ)でランキングし、また成り上がりが多いか下落が多いかを「地位上昇−地位下落」でランキングした結果表を掲げた。

社会階層の変動の幅と上昇傾向の程度
  変動の幅
(変動が大きいか停滞的か)
上昇傾向の程度
(成り上がりが多いか下落が多いか)
国名 地位上昇+地位下落
(%)
国名 地位上昇−地位下落
(%)
上位 1 中国 80.7 中国 63.4
2 フランス 75.1 キプロス 48.4
3 ポルトガル 74.3 ポルトガル 45.8
4 米国 72.1 スイス 41.6
5 クロアチア 71.5 フランス 39.5
下位 1 ハンガリー 50.1 日本 -8.8
2 チェコ 52.5 アイスランド 0.9
3 アイスランド 52.7 トルコ 6.4
4 ブルガリア 53.7 台湾 7.3
5 キプロス 56.6 フィリピン 7.6
(注)(資料)同上

 変動の幅が大きいかどうかでは、中国、フランス、ポルトガルなどが変動的であり、ハンガリー、チェコ、アイスランドなどが停滞的となっている。

 成り上がりが多い社会の上位3位は中国、キプロス、ポルトガルであり、地位下落が多い社会は、日本、アイスランド、トルコである。下落といってもマイナス超過は日本だけである。

 こうした意識調査結果が、実際の社会階層の変動そのものをあらわしているとは考えにくい。日本の社会が、世界と比較して、こんなにも停滞的、階層固定的であるとも、また必ずしも前世代と比較して今の世代の仕事の内容がグレードダウンしているとも思われない。

 逆に、中国はともかくとして、フランスの社会が意識と同じだけ変動的、あるいは上向的だとも思われない。移民の増加でグレードの低い仕事をフランス人はしなくなったのであろうか(回答者に移民が含まれないとして)。そうだとしても移民比率はせいぜい1割なので(図録1171)、こんなに差が出るとは思えない。フランスの場合、何か父親を越えていると思い込む力が働いているのだろうと想像する。

 日本の場合はそれとは逆に何か前世代より劣っていると思い込ませる心理的なメカニズムが働いているのであろう。こうした結果が日本人の自信喪失をあらわしているのであれば、日本人のこんな気分は是非とも打破せねばならない。

 あるいは、フランス人はプライドが高く、大した根拠もなく自分は父親を越えていると思い込んでおり、逆に、謙虚な日本人は、どんな仕事であっても父親が仕事に打ち込んでいた姿に気高いものを感じ、自分は敵わないと思いがちなだけなのかもしれない。

 謙虚というより、日本人には職人気質(注)が染みついてるからだとも考えられる。何であれ家業や自らの道を究めること自体が、念仏や読経を一途に行うのと同じように救済につながるという考えから他国に例がない日本人の職人気質が形成されたという説がある(寺西重郎「日本型資本主義」中公新書)。社会が複雑化するほど邪念が入る余地が多くなるので当然、親の世代ほど道を究めるのは難しくなる。そのため、親には敵わないという気分になるという訳である。

(注)常に道を究めようとする職人気質は兼好法師の時代から見られる。「一道にもまことに長じぬる人は、自ら、明らかにその非を知る故に、志常に満たずして、終に、物に伐(ほこ)る事なし」(徒然草第167段)。道に長じた者は必ずなお足らぬところを感じているので慢心に陥らないというわけである。
 2022年のNetflixドキュメンタリー「ミッドナイトアジア」の第1話「Tokyo」の中で、ブラジル出身のカリスマ・バーテンダーは、はじめて高級すし店に入ったとき、握った鮨を左手付近に出されたのが椅子の引き方から自分の左利きを察しての配慮によるものだと気づき、仕事の質を高めるため努力を怠らないのが職人というものだと悟ったと述懐していた。
 似た例はまだある。白洲次郎の孫で文筆家の白洲信哉は、若い頃から祖母正子の勧める日本料理屋「つくし」に通い、そこのオーナー職人との付き合いが深かった。「ある時少し味が濃かったので、隠岐島出身の主人・故三角秀さんに尋ねたら、「若、今晩お疲れでしょう。少し塩を効かせました」と言う。「え」と聞き返すと、「階段を下りる音がゆっくりでしたから」と。僕はただただ感服した」(東京新聞「私の東京物語」2022年2月15日)。料理に完成されたレシピなどないのだ。

 医師を父親にもつ女性詩人茨木のり子に「抜く」という題名の詩がある。前半部分を引用する。

  抜いたと感じる瞬間がある
  抜こうと思っているわけではないのに
  追いかけているわけでもないのに
  人を抜いたと感じる瞬間の いわんかたなき寂しさ

  父を抜いたと感じてしまった夜
  私はいた 寝床のなかで 声をたてずに
  枕はしとど
  父の鼾を隣室に聴きながら

  そういう瞬間を持ってしまう自分が
  おお とても 厭!
  どうみたって その人より 私が
  たちまさるとは真実おもえないのに

 抜いてしまうとたちまさると思う傾向の国民と抜いてしまってもたちまさると思えない傾向の国民がいるのであろう。なお、詩中の「しとど」は「びっしょり」の雅語。

 社会階層の変動状況を見るための指標としてはこの意識調査結果はやや問題ありと考えられるが、それとは別の何か大事なことをあらわしていると考えられる。

 取り上げた38カ国は、地位上昇の割合の順に、中国、ポルトガル、フランス、スイス、オーストラリア、キプロス、デンマーク、ノルウェー、米国、南アフリカ、スペイン、オーストリア、フィンランド、スロバキア、クロアチア、イスラエル、英国、ニュージーランド、スウェーデン、ドイツ、ポーランド、ベルギー、韓国、チリ、ブルガリア、ウクライナ、エストニア、アルゼンチン、ロシア、フィリピン、スロベニア、トルコ、台湾、ラトビア、チェコ、ハンガリー、日本、アイスランドである。

(参考)調査票の該当設問部分


(2013年1月20日収録、1月22日設問文掲載、2014年7月10日茨木のり子の詩を引用、2022年2月3日職人気質説、2月15日職人気質、兼好法師、白洲信哉)


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