ここで朝青龍の全成績をグラフであらわした(東京新聞による)。 2003年に横綱に昇進して以降、2007年のモンゴルでのサッカー事件による2場所連続出場停止、また2008年にけがで3場所連続して休場したのを除くと、成績自体は、特段衰えてきていたようには思われない。 近年連続優勝がなくなり、黒星が3〜5とやや以前より増えた場所があるが、これは2007年名古屋場所以降、白鳳との両横綱体制となった影響と考えられる。 なお、朝青龍の通算幕内優勝回数は25回と歴代3位の成績である(下図参照)。また、2004年九州場所から7場所連続優勝は史上初の記録である(従来の最高は大鵬の6場所連続 (2度)の記録)。 2024年の段階で朝青龍のかつての活躍を振り返った記事を以下に引用する。 「2008年は優勝1回のみ、2009年も優勝2回にとどまり、逆に白鵬が優勝を重ねた。迎えた2010年1月に13勝2敗で25回目の優勝を果たした後、不祥事が発覚する。 1月場所中に東京・西麻布で泥酔して暴行騒動を起こしたことが写真週刊誌で報じられたのだ。それまでもトラブルや歯に衣着せぬ言動で叩かれていた朝青龍への反感はさらに高まり、横綱審議委員会が「引退勧告書」を提出。朝青龍は日本相撲協会の理事会で事情聴取を受けた後、引退を表明した。 この時、29歳4カ月。大横綱は不本意な形で角界を去ることになった。暴行事件については、2010年7月に傷害の疑いで書類送検。同年10月に断髪式を行っている。 引退後は2013年にモンゴルレスリング協会会長に就任。イベントなどで来日したり、日本のメディアに登場したりすることも多く、SNSでも近況を発信している。 土俵の外では「お騒がせ」のイメージが強かったが、土俵上で残した実績は輝かしい。白鵬、大鵬、千代の富士に次ぐ歴代4位の25回優勝だけでなく、初土俵から幕内初優勝まで所要24場所、初土俵から横綱昇進まで所要25場所はいずれも歴代1位だ。 先述した2005年の年6場所完全制覇は史上唯一。白鵬に並ばれたとはいえ、7連覇は現在も史上最多タイとなっている。 通算成績は669勝173敗76休。幕内の初顔合わせでは歴代1位の34連勝、優勝20回以上の白鵬、大鵬、千代の富士、朝青龍、北の湖、貴乃花の中で金星配給は最少の25個など、取りこぼしの少ない安定横綱だった。 闘志を剥き出しにする姿勢には「品格に欠ける」などの批判もあったものの、個性派として人気の一因だったことも確か。相撲史の1ページに刻まれる力士だったことは間違いない」(SPAIA、2024.1.19)。 以下に、朝青龍の横綱としてのトラブルを掲げた。
(2010年2月5日収録、2月6日・9日グラフ改善、2024年1月19日実績回顧記事引用)
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