日本人の識字率は寺子屋などの普及により江戸時代から世界の中でも高かったと言われるが本当だろうか。ここでは19世紀後半における日本の3県とヨーロッパの識字率を比較したデータを掲げた(原資料)。

 ここで識字率は自分の姓名を書けるかどうかであらわしており、公文書や新聞を読めたりする識字率よりは高めに出ている点を頭においておく必要がある。

 まず、参照したヨーロッパのデータから見てみよう。

 1890〜1900年の段階でプロイセン(のちのドイツ)、フランス、イングランド・ウェールズ(英国の主要部)ではすでに9〜10割に達しており、男女差もかなり小さくなっている。ヨーロッパの中ではイタリアがこの時点では男6〜7割、女4〜5割とヨーロッパ先進地域と比較してまだ低い点が興味深い。

 データでは19世紀後半の推移が国によって分かるが、この時代の識字率の上昇傾向、および男女差の縮小傾向が認められる。

 さて、日本のデータであるが、滋賀県、岡山県、鹿児島県の明治期の値が分かっている。この3県の地域差が大きく、また各県の男女差がかなり大きい点が目立っている。

 滋賀県の男については、ほぼヨーロッパ先進地域並みの水準であるが、鹿児島県では男女ともにヨーロッパでは後進地域だったイタリアの水準をさえかなり下回っている。

 日本の先進地域である京都に近く、近江商人の本拠地だった滋賀県の識字率の高いさはなるほどとうなずけるものがあるが、日本の全国的な識字率は、おそらく滋賀県と鹿児島県の中間、岡山県ぐらいの水準ではなかったかと推察される。すなわちヨーロッパの先進地域である現在のドイツ、フランス、英国と比較すると明らかに低く、せいぜいイタリアの水準だったと考えられよう。

 対象3県については複数年次のデータがあるので推移を見てみると、滋賀県ではすでに高い男性は横ばいであるのに対して女性は急速に識字率を上昇させている。また、年次は少ないが岡山県と鹿児島県では男女ともに識字率をかなり急ピッチで上昇させていることがうかがえる。

 最近、以下のサイトで江戸時代から明治期にかけての日本の識字率が世界の中でも非常に高かったというのは大いなる誤解だったということが明らかにされている。

「江戸時代の日本人の識字率は世界イチ」という説は「嘘」だった…!882人調査から読み解く、日本の「知性格差」(佐藤喬、現代ビジネス、2024.04.12)

 当図録もこの見解と整合的である。当図録のデータはかなり前(10年前)には準備していたのであるが、世間の常識と異なるのでアップするのをためらっていた。しかし、このような記事も登場したので遅ればせながら掲載することにした。

 次の記事では当図録で取り上げたデータも引かれている。

日本人の「2人に1人」は自分の名前さえ書けなかった…!?明治期時代の日本の「知的格差」驚きの実態(佐藤喬、現代ビジネス、2024.04.12)

 この記事では次のように記されている。「識字率にはかなりの階層差・地域差・男女差があったが、ある研究者は、識字レベルが滋賀県と鹿児島県のおよそ中間だった岡山県の数値(男子の50〜60%、女子の30%前後が自分の名前を書けた)が全国平均に近かったのではないかと推測している(「識字能力・識字率の歴史的推移――日本の経験」斉藤泰雄)」。

 だとすると、日本の近代化が成功したのは、庶民レベルの識字率レベルが高かったからでなく、低い識字率から出発したにもかかわらずヨーロッパ先進国に追いつき追い越せと国民の学力レベルを上げようと小学校教育を各地域で急速に普及させた国を挙げての取り組みの成果だとした方が妥当であるということとなる。

 グラフから読み取れるもうひとつの点、すなわち、滋賀の女性、岡山、鹿児島の男女の識字率が当時のヨーロッパと比較しても急速に上昇していた点にそうした状況がうかがえるのである。

(2024年4月13日収録、5月14日一部修正)



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