設問の選択肢のうち「職場に強い不満があれば,転職することもやむをえない」は、終身雇用が本来は好ましいという意識を前提としている選択肢として、「つらくても転職せず,一生一つの職場で働き続けるべきである」と合わせて、「終身雇用志向派」と見なし、その他の答えの「転職志向派」と区別した。 設問が最初に設けられた1998年から複数年次で調査が実施された7カ国の結果を比較すると、日本の若者は終身雇用志向が7割と最も高く、また、終身雇用志向が大きく高まっている点で目立っている。なお、図録3184では、新入社員の意識について、同様の傾向があらわれていることを見ている。 韓国の若者は1998年段階(アジア通貨危機・IMF危機の翌年)では日本と同様のレベルにあったが、それ以降、終身雇用志向が半分以下へと低下している点で日本と異なる。 日韓に続いて、ドイツ、フランスが30%台、米国、英国が20%台とかなり低いレベルとなっている。スウェーデンは10%未満と非常に少ない。こうした国では「転職志向派」が多数を占めているのである。ただ、英国、スウェーデンの除くと「終身雇用志向派」がやや増加しており、必ずしも、終身雇用型の意識が衰退しているともいえない。 第2の図には、過去3回の同調査で対象となった国の最新調査年次の結果について、最初の図では省略した選択肢を含めて示した。 これを見るとブラジルは日本と同じように終身雇用意識が強かったことが分かる。またフィリピン、タイといった東南アジア諸国も日韓の中間程度、欧米諸国を上回る終身雇用志向をもっていることが分かる。 なお、フィリピン、タイでは、「つらくても転職せず,一生一つの職場で働き続けるべきである」という「滅私奉公型」の意識の若者が2割以上と日本より多い点が目立っている。もっとも、タイについては、一方で、自分の才能を生かすために積極的に転職するとする「積極転職型」の意識も強く、両極に分かれているのが特徴となっている。 タイでは、チョラロンコーン大学とタマサート大学が双璧をなす大学として著名であるが、創立が早く、古くから工学部をもつ総合大学だった点で(タマサート大学は長らく文科系中心)、チョラロンコーン大学こそがタイの東大だった。1962年にタイに進出したトヨタ自動車はタイトヨタを海外での生産拠点から、輸出拠点、そして開発センターへと発展させている。そして、このタイトヨタの役員として、チョラロンコーン大学工学部卒の生え抜きを2人(1975年、76年新卒入社)、1997年には常勤取締役8人に加えていた(その後のタイ人役員増加)。これら生え抜きタイ人技術者が日本式なステップを踏んで役員に上り詰めるまで会社に残ったことについて、海外でもトヨタの現場密着技術の優位性が発揮されていることを現地のきめ細かい実態調査で明らかにした小池和男(2013)は、こう述べている。 「よくぞチョラロンコーン大学工学部卒がタイトヨタに入りやめなかったものだ、そうした感慨がわたくしにはある。1970年代半ばといえば、タイトヨタの規模はまだ1000人にも達していなかった。そこに入り、しかもつとめつづけた。1997年時点の日本人人事担当者の話では、チョラロンコーン大学工学部卒は半数がやめていったというが、それは明治期の日本をみるまでもなく、急成長期の経済ではエリートはひっぱりだこで、よく移動するものだ。そうした人たちを20年後、役員にあげている。注目すべきではないだろうか。」(p.191) 上記のようにタイでは、「積極転職型」とともに「終身雇用志向型」も両方多いことを踏まえれば、トヨタ式の登用パターンは日本だけでなくタイでも通用するということが理解される。 【参考文献】 ・小池和男「強い現場の誕生 - トヨタ大争議が生みだした共働の論理 」日本経済新聞出版社、2013年 (2013年7月13日収録、7月22日タイトヨタ事例追加、2015年5月28日2013年度調査についてのコメント付加)
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