図録にはこれまでの学校給食の献立の変遷を、年代別モデル献立によって追って見た。自分が学校児童だった頃を思い出しながら見ると感慨深いものがあろう。 日本スポーツ振興センターのサイトにある「年代別モデル献立資料」が元資料である。独立行政法人日本スポーツ振興センターは、国立競技場・ナショナルトレセンの運営や学校保健・スポーツの振興、さらにスポーツ振興くじ(toto)の実施まで行っている文科省の外郭団体であるが、合併吸収を繰り返し総合団体化して来たが、はじまりは1955年設立の日本学校給食会だった(沿革)。元資料にはここで選んだ代表的な献立より多くの献立が掲げられているので興味のある方は見ていただきたい。 子どもの頃の学校給食の思い出で世代の違いが浮かび上がる。まず、脱脂粉乳(また、肝油)の有無である。牛乳に変わってからも牛乳瓶やテトラパックの時代があった。 さらに、パン主食から麺、カレー、和食、米飯へと主食のバラエティ化である。 昭和30年代半ば以降、献立メニューに多く登場した「揚げパン」については、ウィキペディアにこうある(2020.10.24)。 「1952年当時、風邪で休んだ児童に栄養をつけてもらうため、同級生にパンを持っていかせる際、保存がきき、かつ硬くなったパンをおいしく食べてもらおうと、油で揚げ砂糖をまぶすことを調理員が考え付いた(東京都大田区立嶺町小学校(注))。しかし現在では、その高カロリーが逆にネックとなり、献立に入る頻度は低くなってきている。一定以上の年代、地域育ちの人にとっては、ミルメークなどと並んで懐かしいメニューである。2020年7月にLINEがネット上で15〜59歳の男女5252人に行った「小中学校時代に好きだった給食のメニュー」の調査では揚げパンが1位であった」。 (注)揚げパンのルーツについては、2020年10月23日のNHK「チコちゃんに叱られる」で紹介された。1952年冬、流行性感冒による欠席で多く残ったコッペパンがすぐ硬くなってしまいおいしくなくなってしまうのを何とか解消しようと、同小学校の調理員篠原常吉氏が考案したものだった。砂糖をまぶされた揚げパンはわら半紙に包まれて欠席児童の自宅に届けられたという。 さらに、最近の学校給食は栄養面への配慮を越えて、社会や文化への関心を高めるためにも活用されている。下は世界への関心を高めるための献立メニューの例である。 その他、日本における学校給食とその献立の変遷については、以下の3つのコラムを参照されたい。
(2014年12月5日収録、2015年1月23日コラム3追加、2020年10月24日揚げパンのルーツ、2022年4月10日東京新聞大図録画像)
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