こうした日本人の米食へのこだわりを理解するため、日本人の米食の推移を長期的に、また海外諸国と比較して追うことができるデータを見てみよう。 米食比率の動きをたどるためには、食料全体の摂取カロリーに占める米からの摂取カロリーの割合、すなわちカロリーの米依存度、言い換えれば米食比率の推移を追えばよい。図録には、日本については、1930年(昭和5年)から、比較対象とした海外諸国については1961年以降の米食比率の推移を示した。 戦前には60%前後と大きな比率を占めていた日本の米食比率は、終戦直後に大きく下がりはじめる。 第二次世界大戦後、日本は植民地や戦地からの帰還者を受け入れ、食料不足が深刻化した。米国GHQの占領政策では、日本の非軍事化と民主化が目指され、食糧援助もその一環として行われた。GHQは、日本の食糧危機を認識し、1946年2月以降、米軍の余剰食糧である小麦粉が日本に供給された。1947年に始まった、今では当たり前の学校給食も、実はGHQによる脱脂粉乳やパンの食糧支援がきっかけだった。 参考に掲げた日本における米以外の穀物の比率の推移を見てもこの時期、大きく値が上昇している。 終戦直後の低下はこうした食料援助によるものだったが、1950年代かばからの高度成長期には、食の洋風化、肉食の普及など食生活の大きな変化がはじまり、輸入小麦の拡大も続き、これにともなって米食比率も大きく低下していった。 1973年のオイルショック以降も、テンポは緩まったが、なお米食比率の低下は続いた。そして、バブル経済崩壊後の1990年代以降は、20%強の水準で、ほぼ横ばいに転じている。 しかし、1930年以降の米食比率の低下は、6割から2割へとほぼ3分の1となる極めて大きな低下だったといえる。 こうした変化は日本だけのものではない。日本と同じ米食国の韓国、台湾、タイなどでも時期的には日本に遅れて、大きく経済発展を遂げるとともに、日本と同様の米に対するカロリー依存度の低下がやはり大きく進んでいる。 米の輸出国として知られるタイでは1960年代の7割超から最近の4割前後へと非常に高い水準ながら低下傾向をたどっている。 韓国や台湾に至っては、米食比率が日本を下回るまでに至っている。 日本が米食比率を縮小させたのは、戦後に入ってからであり、それ以前は米に依存した米食民族としての歴史が長かった。米は、主食としてだけでなく、餅、菓子、日本酒などの原材料としても多岐に渡り利用されるとともに、収穫祭や田植えなど米にまつわる様々な文化や行事が存在し、米文化は日本人の風俗習慣に深く根付いていた。江戸時代には石高制といって年貢も米の量で賦課された。水田が地域環境の保全に果たしてきた役割も大きい。 こうしたことから、精神的に米は日本人にとってなくてはならない食品となっていると考えられる。現代でも、食料の自給率も米だけはほぼ100%を維持されている。 バブル崩壊後の1990年代以降、米に対するカロリー依存度がほぼ横ばいに転じているのは、米の消費量は、なお、落ち続けているが、実は日本人の場合、他国と比較して特異なことに食料全体の摂取カロリーも低下傾向をたどっているからである。 しかし、米食比率が横ばいで維持できているのは、そして韓国や台湾より米食比率が高いのは、やはり、日本人が米に対して抱いている強い精神性を無視しては理解できないだろう。 この図録と同様のデータを紹介したプレジデントオンラインの私の記事(2025.6.6)では、米食比率が若年層より高齢層の方が高いことからそうした横ばい傾向も高齢化の影響が認められるとして、いつまでも続きはしないだろうと予想している。 日本の全国各地で米食比率が低下している状況は図録7710(米好き、パン好き、麺好きの地域分布)参照。 (2025年6月10日収録)
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