我が国の輸出をリードする製品は、明治以降、生糸、綿織物、鉄鋼・船舶、電気機器、自動車・エレクトロニクス(電子)、その他機械・機械部品と移り変わってきた。(主要輸入品の長期推移については図録4760、最近の貿易収支については図録5040

 戦前と戦後の違いは、品目の違いばかりでなく、戦前は生糸、茶、綿糸、綿織物といったいくつかの上位品目、及びそれらの合計が占める輸出シェアが非常に高かったのに対して、戦後は、1位品目であってもせいぜい20%であり、多様な製品を輸出するようになった点にも求められる(戦後躍進した「機械・機器・同部品」の中身は家電、AV製品、工作機械、またそれらの部品など種々多品目の集合体なので以下では品目の順位外として扱う)。

 戦前を通して、長く輸出品1位の座を維持していたのは生糸であり、まさに製糸女工のおかげで機械設備や軍艦などを購入する外貨を獲得してきた。

 開港・明治維新ののち、しばらくは、生糸の他、茶、米、水産物、石炭といった1次産品が主要な輸出品であった。

 安政5(1859)年開港から幕末までの主要輸出品としては以下の表の通り生糸の割合が明治以降にまして高かった。これは既に国内機業地向けの製糸業が国内で発達していたからだった。開港以来、国内の生糸産出量は2倍となったと推定されるが、生糸輸出の急拡大により、原材料である生糸の価格高騰と原料不足によって、西陣、桐生、米沢など全国の絹織物業者が未曽有の苦況に陥ったといわれる(下表資料A参照)。なお、養蚕と関連して蚕種(蚕卵紙)が1873年まで主要輸出品だったが、イタリアおよびフランスの微粒子病からの養蚕の回復に大きな役割を果たした(杉山伸也1989)。

 「海産物は開港当初の1859年には第一位の輸出品だった(中略)しかし次の1860年には生糸の輸出額に追い越され、また翌々1862年には茶のそれに追い抜かれた。海産物は幕末輸出貿易の上では生糸・茶を除いた農産物・林産物・鉱産物の関係品や、織物・工芸品、その他の雑貨品よりは常に上回っていた。ただ、生糸と茶の輸出額が右の1862年以降も飛躍的に伸長したのに対し、海産物の輸出額は開港当初とほとんど変らず停滞し、結局幕末期を通して第三位の輸出品の地位にとどまっていた」(荒居英次1975、下表)。幕末期の海産物輸出の内訳は1859〜1864年には7〜8割が昆布、1865〜67年には5〜6割が昆布だった。「鎖国時代にもこれらの昆布が幕府の手厚い保護のもとに買い集められ、長崎から中国船によって輸出されていた。開港初年にあたる1859年の長崎の昆布輸出額はきわめて多量であるが、これは右のような従来の集荷体制によって買入蔵積されていたものが一気に放出されたからであるし、その後なお2、3年長崎よりの輸出額が多かったのは、従来からの集荷取引関係が強く温存活用されていたからである。しかし2、3年をすぎると産地に密着した箱館の方が諸事便利のため、貿易商人・商会の同地進出とともに長崎より優位にたち、より多額の昆布を輸出するようになったのである」(同上)。

 江戸期や明治前半期の昆布輸出の推移については図録0669参照。

主要輸出品のシェア(開港〜幕末)             単位:%
  1859年 1860年 1861年 1862年 1863年 1864年 1865年 1866年 1867年
資料A 生糸   65.6 68.3 86.0 83.6 62.5 83.7 54.1 53.7
蚕種           2.2 3.8 10.0 22.8
資料B 生糸             80.3   46.2
蚕種             3.9   19.0
            10.5   16.5
資料C 海産物 39.5     10.0 6.6 5.6 3.0 6.5 7.4
生糸 23.3   10.6 62.9 69.9 58.7 79.3 42.7 43.9
1.0   3.9 11.9 9.1 6.0 10.5 11.9 16.3
資料C
(港別)
横浜 19.3 47.0 70.9 67.9 81.2 85.1 94.5 84.9 80.3
長崎 77.4 51.0 26.4 26.3 14.6 11.0 3.0 12.0 14.7
箱館 3.4 2.0 2.7 5.3 4.2 3.9 2.5 3.1 5.0
資料A:林英夫(1965)「繊維」(児玉幸多編「産業史U」山川・体系日本史叢書11)
資料B:杉山伸也「国際環境と外国貿易」(1989)(梅村又次・山本有造「開港と維新」岩波・日本経済史3)
資料C:荒居英次(1975)「近世海産物貿易史の研究―中国向け輸出貿易と海産物 」吉川弘文館

 生糸輸出の拡大は国内産業の再編を促進した。例えば、明治初めには大阪や愛知の産地を上回る日本1の白木綿生産地であった越中富山の新川(にいかわ)木綿が、19世紀末までに衰退・消滅するに至ったのは、主たる供給先であった信州・松本周辺の木綿製品(手拭い、足袋、足袋裏等)の産地が急速に需要が伸びつつあった輸出向け養蚕・製糸業へと全面傾斜していったからであった(谷本雅之1998)。

 生糸の主たる輸出先は、上海(経由ヨーロッパ向け)→ロンドン→リヨン(フランス)と変化し、1880年代以降は、米国が首位を占めるに至った。

 茶は米国市場を中心に緑茶輸出が拡大したが、インド・セイロン紅茶に敗退していった(図録0470参照)。

 日本米は、白色透明の上等品であり、東南アジアやインドの安価な米が東南アジア・西インドのプランテーション労働力に対する食用向け、あるいは綿工業の糊需要向けに輸出されていたのと対照的に、カレーライスやライスプディング用として、英国やオーストラリアで消費されていたという(角山栄1987)。しかし都市の工業化が進むと日本はむしろ米の有数の輸入国に転化する。

 海洋国日本が優位性をもっている水産物についても維新後主として中国・香港向けに昆布、乾魚、乾貝、海鼠の輸出が多かった。茶や米と同様輸出シェアはいったん低下したが、茶、米と異なり、魚類缶詰の輸出増などで1930年代あるいは戦後1950年代には5%近いシェアを回復した(洋上カニ缶詰製造を描いた小林多喜二「蟹工船」は1929年発表)。

 石炭は高島炭や三池炭が良質な船舶燃料用石炭としてアジア市場に進出した。のちに筑豊炭も加え、日本炭は上海、香港、シンガポールの各市場でそれぞれ1870年代半ば、80年代半ば、90年代半ばに優位性を確立したといわれる(杉山伸也1989)。

 1890年代を境に、絹織物、綿糸、そして綿織物といった繊維産業が躍進し、茶や米、石炭など1次産品は、シェアを縮小していった。特に、1910年代の後半、第1次世界大戦後は、綿織物が生糸に次ぐ大きな稼ぎ頭となった。綿織物は綿糸とともにアジア市場向け、羽二重を中心とする絹織物は米国・フランス向けが多かった。

 戦後直後は糸へん景気(1951年)など、繊維産業製品の輸出シェアが一時的に拡大したが、その後、1970年代までの高度経済成長期には、我が国の臨海型工業を代表する鉄鋼及び造船(船舶)が輸出品1位の座を維持していた。1940年から1960年にかけて下図のような国際海運コストの急落が起こった(図録4920から転載)。これにより拓かれた、鉄鉱石や石炭を海外から輸入し、製品を海外へ輸出する臨海型の製鉄所の新たな可能性を生かしたことが成功の要因だった。



 こうした素材型産業の製品の国際優位性を生かし、1970年代〜80年代になると各種の機械工業が発達し機械・機器・同部品のシェアが伸張し、中でもその代表選手とも言うべき自動車産業が躍進し、自動車が輸出品1位に躍り出た。

 1980年代のハイテクブームの中、エレクトロニクス製品(電子機器)の輸出が急増し、1990年代半ばにはトップの地位についたが、グローバリゼーションの中で、海外進出が相次いだことやアジアの新興工業国との競争が激化してコンピューター、ICといった電子製品の競争力が低下したため、近年はシェアを低下させ、摺り合わせ製品として底堅い競争力を維持する自動車に再度1位の座を明け渡している。オーディオ・ビジュアル(AV)製品やICなど日本企業のエレクトロニクス製品の世界市場における競争力の低下については、品質とコストパフォーマンスのバランスの悪さによるという見方が指摘されることも多い。英エコノミスト誌によれば、日本のエレクトロニクス企業は「ハイコストな日本国内で余りに多くの儲けの薄い活動を余りに長くし続けた。彼らは、他国の顧客が問題にしないような先進的特色をもって自国の消費者を満足させることに集中していた。そして彼らは、新興国市場に参入するのに遅れてしまった。」(The Economist 2011.3.5)(図録5647参照)

 鉄鋼・造船といった重量製品については、我が国の高度技術と海洋立地の結合能力から、案外競争力が高く、高い経済成長を続ける中国などアジアの旺盛な需要にも支えられてなお一定の輸出シェアを維持している(我が国は鉄鋼に関して世界1の輸出国)。シェアを維持するばかりか、鉄鋼についてはむしろシェアを上昇させている。造船については世界の造船建造量シェアの推移についての下図参照。中国の造船拡大は政府の補助金による生産コストの低減にによってもたらされており、ある研究によれば、「もし人為介入がなければ日本の市場シェアは30%ポイント程度高かっただろう」ということである(The Economist August 9th 2014)。各産業分野ごとの競争力については図録48005300参照。


 自動車や鉄鋼の強さは、品質の高さばかりでなく、省エネ型である点に求められる。自動車は海外製品と比較して燃費の良さで競争力をもっているし、鉄鋼は省エネ・省資源型の生産システムが高度に発達していることによる競争力が高いのである。近年のエネルギー価格の高騰は実は日本にとって競争力上有利に働いている(経済全体のエネルギー効率の高さについては図録4060参照、素材産業のエネルギー効率の高さについては図録4080参照)。

 なお、有機化合物やプラスチックからなる化学製品も中国への輸出が伸びており、輸出全体におけるシェアも上昇傾向にある。鉄鋼とあわせ素材産業の製品が全体的に機械産業の製品よりシェアを伸ばしているのが最近の特徴である。

 2009年は前年のリーマンショックに伴う金融危機が世界的な不況に結びつき、特に北米市場での落ち込みから自動車の輸出シェアが急落した。その分、他の主要輸出品のシェアが拡大している。2012年以降には自動車も回復したがなお以前ほどではない。

【参考文献】
・林英夫(1965)「繊維」(児玉幸多編「産業史U」山川・体系日本史叢書11)
・荒居英次(1975)「近世海産物貿易史の研究―中国向け輸出貿易と海産物 」吉川弘文館
・杉山伸也(1989)「国際環境と外国貿易」(梅村又次・山本有造編「開港と維新 (日本経済史 3)」岩波書店)
・角山栄(1987)「辛さの文化 甘さの文化 」同文舘出版
・谷本雅之(1998)「日本における在来的経済発展と織物業―市場形成と家族経済 」名古屋大学出版会

(2004年4月15日収録、2006年9月5日更新、9月9日品目・過去年次、コメント追加、2007年8月13日更新・精密機器追加、8月21日精密機器削除、2008年7月23日更新、化学製品追加、2010年2月24日更新、2011年4月12日更新、2012年2月23日更新、9月26日開港〜幕末の表追加、9月27・28日機械・機器・同部品の項目を追加、10月1日石炭データ追加、10月2日明治初期コメント追加、2013年2月27日更新、4月23・24日荒居英次1975引用・表追加、4月26日国際海運コスト推移図追加、9月13日エレクトロニクス製品の競争力コメント追加、2014年8月25日世界造船建造量シェア推移図追加、2015年1月29日更新、2016年1月28日更新、2017年1月30日更新、2018年2月28日更新、2019年2月7日更新、2020年1月31日更新、2021年3月21日更新、2022年2月16日更新、2024年4月8日更新)


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