世界約200か国のなかで君主制を採る国は28か国である。ヨーロッパで王室をもつ国は下図の通りである。17〜18世紀のフランスのように以前は君主が絶対的な権力を握る場合もあったが、現在、英国、北欧、ベネルクス3国などでは議会が王権より優先され、「君臨すれども統治せず」という立憲君主制が定着している。


 ここでは、世界の王室の歴史の長さのランキングを掲げた。

 伝説上、天皇家の初代神武天皇の即位はBC660年とされている。また、現在確認できる資料から6世紀以降は王朝が交代した証拠がない日本は少なくとも1500年以上の長い歴史を有している。また日本の皇室はその長い歴史において世界で唯一「万世一系」を貫いている。

 エチオピア皇帝家はメネリク1世を始祖としてBC10世紀から3000年続く世界最古の皇室とされていたが、エチオピア帝国が1974年ハイレ・セラシエ1世廃位により消滅した。

 この結果、日本の天皇家が世界最古の王家となり、この点は「ギネス世界記録」でも認定されている。

 世界で2位、欧州で最も古い王室はデンマーク。バイキングのゴーム王(936〜958年)を初代として現在54代の女王が在位している。北欧史は大きく言えば、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンをあわせたカルマル同盟、すなわちデンマークを盟主とする欧州最大の3か国連合王国からスウェーデン、ノルウェーが独立へ向かう歴史であるが、その都度撤退を迫られながらもしぶとく生き永らえたのがデンマーク王室である。

 英国のエリザベス女王がなくなり、在位50年82歳のデンマーク女王マルグレーテ2世がヨーロッパで在位最長を誇る君主となり、当時君臨する世界で唯一の女性君主でもあることとなった。なお、デンマークの王位継承法は、マルグレーテが王位を継ぐことができるように改正された(彼女は父である国王の3人の娘の長女だったが、当時は女性の王位継承は認められておらず、彼女のいとこにあたる男子の王族も存在していた)。出所はここ

 欧州で存命中の君主として最長の在位期間を誇るデンマーク女王マルグレーテ2世(Queen Margrethe II、83)は2023年12月31日、即位52年の節目となる翌1月14日に退位し、息子のフレデリック皇太子(Crown Prince Frederik、52)に譲位すると予告なく表明した。マルグレーテ女王は英国のエリザベス女王(Queen Elizabeth II)の死後、欧州で唯一の女性君主となっていた。マルグレーテ女王はテレビ中継された大みそか恒例のスピーチで、年齢と健康上の問題を理由に退位すると説明(AFP=時事)。

 3番目の長さを誇るのは英国である。英王室は1066年フランスから上陸したノルマンディー公ウィリアムがノルマン王国を創始して原型が作られた。英王室では当初フランス語が話されており、英語が使われ始めたのは1272年即位のエドワード1世の時代からである。

 英王室は1688年名誉革命で絶対王政からいち早く「君臨すれども統治せず」の近代的立憲君主制へと移行した。

 英国の女王は、英連邦王国に属するすべての国の国家元首も兼ねている。英連邦王国に属するのは英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ジャマイカ、バルバドス、バハマ、グレナダ、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ツバル、セントビンセント・グレナディーンなど16カ国である。

 英国のエリザベス女王が、2022年9月8日、96歳で死去した。歴代最長の70年にわたり在位した女王は、英国を象徴する人物として世界中で親しまれた。女王の死去を受け、長男のチャールズ皇太子(73)が直ちに国王に即位。英国は10日間の国喪に入った。9月19日には国葬がロンドンのウェストミンスター寺院で行われた。女王は、2021年に亡くなった夫フィリップ殿下が眠るセント・ジョージ礼拝堂に埋葬された。

 4番目に歴史が長いスペインでは1931年に共和制が成立したが1975年に王制が復活。国王はフランス王家の支流ブルボン家の直系である。2014年にはスペイン国王ファン・カルロス1世が退位、新国王フェリペ6世が46歳で即位した。

 ヨーロッパの王室は血統の点からは我々日本人の理解を越えた経緯を辿ってきている場合がある。例えば5番目に歴史が長いスウェーデン王室である。

 ただし、1523年というのは、14世紀末のカルマル同盟以来120年続いたデンマーク王権の支配に叛旗を翻し、スウェーデンを独立に導いたグスタフ・バーサが興したバーサ朝スウェーデン王国の創始年である。その後、何らかのかたちでつながっているとはいえ何回も王朝は交代している。

 ノーベル賞の授賞式でもメダルを授与するスウェーデン国王が属する現在の王室は1818年にはじまったベルナドッテ王朝であるが、開祖は、当時ヨーロッパの覇権を握っていたナポレオン・ボナパルト配下のベルナドッテ将軍である。ホルシュタイン=ゴットルプ王朝のカール13世に世継ぎがいなかったためナポレオンの推薦もあって、カール・ヨハンと改名したベルナドッテ将軍がスウェーデン議会によって同国の王位継承者に選ばれたのである。その後、1818年にカール14世ヨハン(兼ノルウェー王カール3世)としてスウェーデン=ノルウェー連合王国の王位につき、ベルナドッテ王朝を開く。

 カール・ヨハンこと、ベルナドット将軍はフランス南部ポー市の事務弁護士の息子であり生まれも育ちもフランス人である。王位継承者となる前に、フランスのマルセイユにて裕福な絹商人の末娘として生まれた妻のデジレ・クラリーと結婚しており(デジレはボナパルト家との家族ぐるみの交流の中でジョセフィーヌと結婚する前のナポレオンとも婚約)、のちに父の死後、第2代を継いだオスカル1世もすでにこの夫婦の一人息子としてパリで生まれていた。つまり生まれも育ちも生粋のフランス人の平民3人家族がそのまままるごとスウェーデン王室の創始一家に収まったのだった。

 カール・ヨハンはスウェーデンへの圧力をはねかえすため、かつて属したナポレオンフランスとの戦争を決意し、ライプチッヒ会戦で仏軍を打ち破り、キール条約でノルウェーの割譲を受け、ノルウェーとの同君連合を実現するなど強国化維持に大きな功績があったが、スウェーデン語ができないこともあり、自分が王位から追われるのではないかという被害妄想に囚われ、秘密警察を使って反対派を沈黙させたりしたという。

 ベルナドッテ王朝も第5代グスタフ5世の王妃ヴィクトリアから前王家の血を引いており、その意味では血統が繋がってはいるが、かなり迂遠な承継といえよう。

 日本の皇室では第26代継体天皇が日本のカール・ヨハンといってもよい存在かもしれない。血統上からは迂遠であるにも関わらず、第25代武烈天皇が後嗣を残さずして崩御したため、大伴金村・物部麁鹿火といった有力豪族の推戴を受けて507年に即位し、その後何故か19年も経過してから大和入りした翌年に勃発した磐井の乱の鎮圧に成功したという事跡はどこかスウェーデンのカール14世ヨハンに似ているのである。

 そして冒頭に述べた通り、継体天皇以降は王朝が交代した証拠がないので日本の皇室が確実に世界最長とされている。それ以前は、実際は複数の王統が交替していたのに中国皇帝に代替わりを報告する時、容喙を恐れ中国が正統と考える承継に見せかけたのを、後には自分たちでも王統が連続していると信じてしまうようになっただけという可能性が高い(注)

(注)義江明子「女帝の古代王権史」ちくま新書(2021年)

(2020年9月22日収録、2021年10月25・26日スウェーデン王室、11月23日欧州王室図、2022年1月12日(注)、9月9日英国エリザベス女王死去、9月28日デンマーク女王について、2024年1月1日デンマーク女王退位表明)


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