これら都心部の面積は、ほぼ60平方キロであるが、働いている人々(昼間就業人口)は、東京が267万人と最も多く、ニューヨークが209万人で続いており、ロンドンは115万人と最も少ない。 ところが住んでいる人口(夜間人口)は、東京が最も少なく、55.5万人、ロンドンも57.5万人と少ないが、ニューヨークは153.7万人と東京、ロンドンの3倍近く住んでいるのが目立っている。 マンハッタンは、交通が便利で最近は安全にもなっていきたということで、郊外のロングアイランドからのUターンも見られ、オフィスや商業施設にマンションもある複合型超高層ビルが次々に完成するなど、富裕層が都心居住をリードする姿は東京と同様であると言われる。 一方、富裕層だけでなく、幅広い層が住む都市を目指し、一般の住民も住めるよう、ニューヨークとロンドンでは、下表のように、アフォーダブル住宅(手の届く住宅)を含んだマンションへの税制優遇などの取り組みが進みつつあるという。 アフォーダブル住宅に関する方針
この他、土地利用上、東京都心部の特徴は、公園、水面などのオープンエリアが7.2平方キロと小さく、ロンドン都心部の半分程度となっている点にある。マンハッタンもオープンエリアがそれほど大きくないが、マンハッタン島の両側を流れるハドソン川とイーストリバーの水面が算入されていないことに注意する必要がある。 神宮外苑の再開発によって東京都心部のオープンエリアはさらに失われようとしている。大都市東京は何段階をも経た開発の上書きによって過去の姿が消えてきたのである。 こうした動きを要約している記事を以下に掲げよう(仏紙「ル・モンド」の東京特派員、フィリップ・ポンスによるクーリエ・ジャポンの記事”仏紙「東京は恐ろしく似たり寄ったりな、アジアの巨大諸都市の一つにならんとしている」”を掲載したヤフー・ジャパン・ニューストピックス2023.11.24の末尾部分)。 「街を塗り替え続ける建設熱 いくつかの歴史的な保全地区を除いて、東京の遺産はすっかり失われてきた。1923年の関東大震災では10万人以上が亡くなり、明治時代の名残が奪われてしまった。さらに1945年には、東京大空襲が日本の「狂乱の時代(1920年代後半)」の遺産を破壊し、1964年のオリンピックに際して起こった建設ラッシュが戦後の名残を一掃した。さらに、1980年代後半のバブル経済では新自由主義的なメガプロジェクトが進行し、60年代から70年代の遺産を払拭することになった。 国家が遺産保護のための介入をおこなうこともなく、東京の姿は「市場の法」によって変容してきたといえる。(耐震と日照に関する基準を除けば)建築基準は厳しくなく、開発事業者はさして必要とも言えないような開発にも自由に乗り出すことができる。 20〜21世紀にかけては耐震技術の発展に支えられ、天の高みを目指すような新・東京が現れた。タワーマンション、巨大な商業施設やホテル、文化施設の建設に加え、2020年の東京オリンピックに向けて不動産の過剰生産がおこなわれた。 東京の魅力の一つは、コントラストが際立つさまざまな都市空間が共存し、それにより多様なライフスタイルが可能なことだった――部分的には現在でもそうである――。 しかし、過剰さと高さへの飽くなき欲望による建設熱は、こうした東京の魅力を損なってしまった。神宮外苑の再開発がこのまま進めば、東京の「ゲニウス・ロキ」(土地の雰囲気・風土)にとってさらなる痛手となるだろう」。 (2006年10月23日収録、2023年11月25日クーリエ。ジャポン記事)
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