ロシアのウラル山脈より西のユーラシア大陸が一般にヨーロッパととらえられることが多い(ロシアはヨーロッパ・ロシアとアジア・ロシアとに分かれる)。 こうした定義のヨーロッパの人口はキリスト紀元の初期には約3,300万人であった。その後、ローマ帝国の衰退・混乱、それにつづく疫病や飢饉、他民族の侵入などによって、ヨーロッパの人口は減少し、600年頃には1,800万人と55%減となった。 その後、14世紀中頃まで、中央ヨーロッパの森林地域における多数の開墾事業が行われ、中世における人口増傾向が続き、7,000万人に達したが、14世紀のペストの大流行、次世紀まで続いた百年戦争による荒廃によって人口減に転じた。 16世紀には、こうした失われた人口が回復し、30年戦争(1618〜48年)の増加傾向の中断はあったものの、17世紀中頃には西暦1世紀の3倍に当たる1億人を越えるに至った。 ヨーロッパの人口が急速に増加しはじめたのは、18世紀の産業革命後であり、第1次世界大戦まで人口急増時代は続いた。この時代には、他の大陸への大量の人口流出が起こっていたが、それでも1930年には5億人の人口に達した。 以後、人口増の傾向は鈍化し、2000年(73億人)を過ぎ、早晩、人口減に転じると考えられている。 (原データ) ヨーロッパの超長期人口推移
(資料)T.G.ジョーダン「ヨーロッパ文化―その形成と空間構造 」(原著1988)、人口問題・社会保障研究所「人口統計資料集」2006年版 (2007年2月20日収録)
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