戦後の推移を概観すると、宿泊客数が大きく伸び、これに追いつくように宿泊能力が拡大するという動きが、大きく2回起こったことが図からうかがえる。棒グラフと折れ線グラフは目盛りがちょうと100倍違うので、2つが近接すれば宿泊能力1人あたり延べ100人の宿泊客(つまり稼働率100/365日=27%)の水準である。折れ線グラフが棒グラフを上回るほど稼働率がよく、儲かっていたと見られる。 1回目は高度経済成長期の1960年代の旅行ブームにともなう宿泊客数の増加である。特に1961年はレジャーブームの年であり、スキー客、登山客とともに温泉宿泊客も大きく増加した。この時期の典型的な温泉旅行パターンは会社の慰安旅行である。こうしたブームに対応して宿泊能力も拡大したが、1973年のオイルショックを境に、宿泊客は停滞し、稼働率は落ちた。 2回目は1985年頃からの温泉ブームである。この時は、OL・女子大生など女性客の少人数旅行がブームとなり、露天風呂に人気が出た。テレビでの秘湯ブーム(1982年)も追い風となった。1988〜89年竹下内閣の「ふるさと創生1億円事業」がこのブームを受けた温泉施設整備を促進した。こちらのブームはバブル経済の崩壊で沈静化したが、その後もバブル期のリゾート開発ブームの余勢で施設能力は拡大を続けたので、稼働率は2000年頃から27%を下回り、最近は最悪の稼働率状況となっている。外国人観光客の増加もこうした状況の挽回には至ってないようである。2011年は東日本大震災の影響もあって減少したが、2012年、13年と2か年続けて対前年増となっている。これは、震災の影響からの回復か、それとも外国人客の影響だろうか。 近年も温泉ブームがまきおこっているが、これは都市温泉など日帰り温泉施設の充実が中心であり、温泉宿泊施設にとってはむしろ競合の側面が否めないと考えられる。 以下には東京新聞大図解に掲載された「文人の愛した温泉」を表にまとめた。都市温泉では味わえない温泉情緒の一部をなすこうした歴史文化的側面が第3の温泉ブームにつながるかは定かでない。
(2012年3月10日収録、2015年3月12日更新、2021年12月9日更新)
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