2009年の衆議院総選挙で自民党が大敗北した背景の1つには、選挙で自民党候補者を応援することの多い町村部の議員数が市町村合併に伴い激減したことがあげられる(下表の通り、市町村議員定数は6.1万人から3.8万人に減少、その多くは合併して消滅した町村部議員)。小泉政権以降「改革」の旗に下に市町村合併を推進した政権政党自民党はいわば自分で自分の首を絞めたわけである。 この他、国民の地域生活にも様々な影響、そして大きな影響をこの市町村合併は与えていると考えられる。 そこで、この図録では、明治以来の市町村数の変遷と「平成の大合併」における都道府県別の市町村数の変化をグラフ化した。 都道府県別に市町村数の減少を見ると地域差が大きいのが今回の大合併の特色の1つであった。経済力、財政力の低い自治体にとっては、アメとムチが大きく効いたが、自発性のタテマエもあって、経済力、財政力の高い市町村自治体にあってはいくら規模の小さな市町村であっても、必ずしも周辺自治体からの合併の提案に乗る必要はなかったのである。 市町村数の減少率が最も高かったのは長崎県、第2位は広島県であり、減少率は73%に達した。また、50%以上の減少率、すなわち半分以下に減った都道府県が26と過半数を占める。 一方、東京都と大阪府では合併はそれぞれ1件のみであった。神奈川県、あるいは千葉、埼玉の都心に近い地域では、やはり、市町村合併はほとんど進まなかった。関西圏でも事情は似ていた。 なお、平成の大合併で「村」がなくなった県は11、具体的には栃木県、石川県、福井県、静岡県、三重県、滋賀県、広島県、山口県、愛媛県、佐賀県、長崎県である。兵庫県、香川県はもともと「村」がなかったので「村」がない県は13となる。こうした県では県内市町村という用語は使えず、県内市町という他ない。 全国の市町村数は、近代的な行政単位として市町村を創設した「明治の大合併」で約5分の1(7万から1万台へ)、民主主義を具現する地方自治体としての位置づけや行政的な役割強化に伴う「昭和の大合併」で約3分の1(1万台から3千台へ)に減少した。 1999年から2010年にかけての「平成の大合併」は、前2回の大合併が上からの指示、指導の性格が強かったのに対して、地域の発意を基本とする下からの運動というタテマエをとり、合併を目指す市町村が自発的につくる市町村合併協議会により推進されたが、実際は、新旧の合併特例法、及び三位一体の改革が合わさったアメとムチにより促進された(下記年表参照)。 アメの中心は、合併特例債であり(この他、地方議員の在任特例や市や政令指定都市への昇格の要件緩和)、ムチの中心は、合併しない市町村における地方交付税の減少(合併市町村でも一定期間後は同等となるわけであるが)であった。 「平成の大合併」年表
平成の大合併に伴って、越県合併やブランド地名の乱立など様々な話題を生じたが、主なものを下の表に掲げた。
市町村合併にかかわる話題
市町村合併の個別一覧(総務省市町村合併資料集ページ) なお、以下に平成の大合併の総括表を掲げた。この表は2009.11.19時点の2010年3月末見込み(総務大臣告示済ベース)によっているので注意されたい。
合併前と合併後を比較すると、市町村数は半分弱に減少し(46%減)、その分、市町村の平均人口と平均面積は倍増している。 「平成の大合併」前後の変化
(2010年2月26日収録、4月1日市町村数を3月末見込み数から実績数に更新)
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