この点についてIMF資料に基づきOur World in Dataサイトが各国の時系列データを掲載している(該当ページ)。ここでは、日本のデータが遡れる1875年(明治8年)以降の主要国の値をグラフ化した。 GDP統計(SNA)における政府支出は、大きく「政府最終消費支出」と「公的固定資本形成」の2つに分けられる。政府最終消費支出は、政府の一般的な活動や社会保障などに費やされるもので、公的固定資本形成は道路や学校の整備など公共事業に費やされるものである。?ここで政府とは、中央政府、地方政府、社会保障基金(公的年金、医療保険などの組織)からなっている。 世界的には歴史的に政府支出の拡大傾向が認められる。経済に果たす国家の役割は基本的に大きくなってきている。政府の一部と見なされる公的基金が管理する公的年金や医療保険などの社会保障支出が拡大してきた影響が大きかろう。 歴史的に見て政府支出が一時的に大きく拡大した点が目立っているのは軍事費である。第1次世界大戦と第2次世界大戦の時期の英国、米国の推移が端的にそれを物語っている。ドイツ、フランス、日本の値の拡大しているはずであるが2013年のドイツを除いてデータが得られない。第1次大戦への参戦が遅れた米国の政府支出が拡大したのは主に1918〜9年である。 米国は大恐慌後の1930年代にも政府支出が拡大しているが、これはルーズベルト大統領が進めたニューディール政策によるものである。米国はその後、同時多発テロを受けて実施したテロとの戦いで2009〜10年に、また新型コロナ対策で2000〜01年にも政府支出が急拡大している。新型コロナについてはヨーロッパ各国や日本でも同様の政府支出の一時的拡大が認められる。 日本については、戦後において、それぞれ、オイルショック後、バブル崩壊後、リーマンショック後、そしてコロナの時期に景気対策などとして大きな財政出動が行われたが、その都度、揺り戻す時期が続いたので、世界的な傾向と同じく政府支出の拡大傾向はあるものの、なお、先進国の中では米国並みの「小さな政府」だという地位を維持している。 もっとも、戦前から1990年代までは先進国の中で最低レベルを維持し、特に「小さな政府」である点が特徴だったのと比較すると先進国並みに近づいたとは言えよう。日本では他の先進国を上回る高齢化が進展し、社会保障に係る政府支出も拡大しているので、こうした動きは当然と言える。 参考のため中国の推移も記しているが、社会主義政権にもかかわらず主要先進国と比較して政府支出レベルは低く、改革開放を進めたケ小平期にはむしろ政府支出比率は低下していた。1997年にケ小平が死去し、江沢民の時代がはじまると、中国は民族意識を高めるための勢力拡大をめざす「開発独裁」国家、言い換えれば「大国主義」を標榜して憚らない国家へと変貌したと言われるが、政府支出も1996年をボトムにして急拡大の局面に入っている。 日本が「小さな政府」である理由を公務員数の少なさの理由から探った研究に、前田健太郎「市民を雇わない国家〜日本が公務員の少ない国へと至った道〜」(東京大学出版会、2014年)があり、広く受け入れられている。著者自らの要約は以下である(原ページはここ)。 「一般的なイメージに従えば、日本の官僚制は強大な権力を持っている。しかし、そうしたイメージとは裏腹に、日本の公務員数は先進国の中でも極端に少ない。本書は、その理由を探ったものである。...歴史を遡れば、日本は常に公務員の少ない国だったわけではない。それどころか、第二次世界大戦前までの日本は、経済発展の水準から見れば公務員の数が相対的に多い国であった。他国と比べた日本の特徴は、経済成長に伴う公共部門の膨張を未然に防いだことにある。日本は、第二次世界大戦後の高度成長期という、他国に比べて早い時期に行政改革を開始し、公務員数の増加に歯止めをかけた事例なのである。(中略) 第二次世界大戦後の日本では、終戦直後から激化した公共部門の労使紛争に対応するため、アメリカの影響下で、公務員の労働基本権を制約するのと引き換えに、その給与水準を人事院が設定する人事院勧告制度が採用された。こうした制度は、当初は公務員の給与水準を抑制する仕組みであったが、高度経済成長によって民間部門の賃金水準が上昇すると、逆に公務員の給与水準を引き上げるメカニズムとして機能するようになった。その結果、人事院勧告によって膨張する人件費に対応するため、1960年代から公務員の定員を抑制するための試みが開始されたのである。その結果、公務員数は低い水準に留まる一方で、公務員に代わって公共サービスの供給を担う公益法人などの政府外の組織が膨張することになった。つまり、日本では政府が公務員の給与水準を抑制する手段を制度的に制約されていたがゆえに、他の国々よりも早く行政改革の乗り出したのである。(中略) イギリスでは、労使交渉を通じて公務員の給与を抑制する手段が採用されたため、1970年代に経済危機が生じるまで公共部門が拡大を続けた。他の欧米先進国でも、公務員の給与を抑制しやすい制度を持つ国では行政改革を開始するタイミングが遅くなり、公務員数の増加がかなり遅い時期まで続いた。 以上の結果、日本の公務員数は他の国々よりも極端に低い水準に留まり、「市民を雇わない国家」となったのである」。 つまり、公務員数の観点からであるが、日本が「小さな国家」なのは、戦前からなのではなく、戦後の公務員制度の影響だとされるのである。 ところが、政府支出対GDPの指標からはここで見たように戦前から日本は「小さな政府」である。私は、新著「統計で問い直す はずれ値だらけの日本人」(星海社新書、2025年5月刊)の第6章3節「日本の公務員数が世界最少レベルである理由は?」で、島国だったことや宗教的な理由で、もともと歴史的に日本人は国家とは疎遠な民族であると判断したが、当図録のデータはそれと整合的だと思われる。 (2025年5月2日収録)
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