東アジア4カ国の大学・研究機関が共通の質問票を使用して共同で行ったアンケート調査の結果から、老親の世話の責任は誰にあるか、という設問に対する回答を見た。資料出所は日本側の担当機関の1つである大阪商業大学JGSS研究センターのHPである。

 全体的には、子ども全員で老親の世話の責任をもつという回答が6〜7割と多い(韓国は例外)。

 日本の特徴は、次の3つである。@子ども全員が6割以上と最多、A韓国ほどではないが、長男をあげる者が子ども全員以外では最も多い。B「子どもに責任はない」とする者が6.1%と他の3カ国が1%程度以下であるのと対照的に多い。

 @は戦後均分相続となった影響であろう。Aは戦前の家制度の考え方の残存であろう。Bについては、社会保障が他の3カ国より発達している点、また回答者に実際子どもに頼らず暮らす老親が多いこと自体によるものと考えられる(調査回答者の70歳以上の割合は、日本17.6%、韓国8.0%、台湾10.5%、中国0.0%)。すなわち、回答した高齢者には、子どもの世話になっていない→子どもに責任はない、という意識連関が生じているのであろう。

 韓国の特徴は、何といっても長男をあげるものが28.7%と他国と比較して格段に多い点にある。長男の役割を重く見るのが儒教的であるとするなら(中国の儒教では長男優先はないが)、儒教的な精神が東アジアの中でも最も色濃く残っている国と言えよう。「子どもの誰か」という回答率が最も高いのも目立っているが、これは長男でなかったら長男に代わる誰かという意識のあらわれと思われる。いずれにせよ、他の3カ国とは異なり、子ども全員というある意味の無責任体制ではなく、特定の個人に責任を認めている。家・親族集団の祭祀、財産や家業の継承方式との関連もあろう。東アジアの中でも特異なこうした儒教精神の残存ともいえる慣習意識が、いつ頃形成されたのか、戦前戦後の混乱期に強められたのか、また戦前日本の家督相続・家長制度の影響もあるのか、など考え方の成立と保持の経緯については研究の余地があろう(【コラム1】参照)。

 台湾と中国は、日本、韓国と比較して長男の比率が低いのが特徴である。台湾は、特に長男が少なく、息子の誰かが多く、中国は、子どもの誰かが多いのと娘の誰かが1.5%と他の3カ国に比べるとやや多くなっている。中国だけが社会主義国であるが、特段、社会で世話する(子どもに責任はない)が多いわけでもない。中国ではもともと親兄弟が一緒に暮らす合同家族を理想とし、兄弟間では財産は均分相続、祖先祭祀も兄弟全員の責務だという。「兄弟情如手足(兄弟の情は手足の如く)」と言われ結婚後も兄弟の相互扶助が当然とされる。こうした慣習の一環として、息子たちが皆で老親を世話する中国社会の「養老糧」や「輪流管飯」の伝統が受け継がれているといえよう(【コラム2】参照)。

 参考図として同じ調査の結果から、親の世話をした子どもが多くの財産を相続すべきかという設問の回答結果を掲げた。

 これを見ると、日本と韓国(特に韓国)は、親の世話と財産相続を関連の高いものと見ていることが分かる。ところが、台湾と中国(特に台湾)では、両者を無関係とする意見もかなり多く見られる。均等負担が前提の台湾、中国の場合、こうした設問自体が無意味という意見が「反対」に流れている可能性がある。

 この図録と関連して、韓国や中国では日本と比べて子どもからの援助を収入源として暮らしている高齢者が多い点については図録1320参照。

 また、ここでは、家族のうちの誰という点が調査されているが、老親の世話をするのは家族か、あるいはそれ以外の行政、非営利団体、民間事業者なのかという点についての国際比較調査については図録1238参照。

【コラム1】韓国の相続制度

 崔達坤(2003)によれば、朝鮮半島ではもともとは女性を含めた共同相続が慣習であったが「男尊女卑を主な原理としている儒教が韓国社会に定着することにより、女子の相続分は男子に比べて漸進的に少なくなり、結局、相続人の範囲から除外されたこともあった。また、日本による植民地時代においては、当時の日本の長子単独相続法の影響を受け、女子が相続人の範囲から除外されることが一般化された」という。また戸主または長子への相続分の加算についても、慣習法時代はそれほどでなかったが、その後、加増され、1960年の韓国民法では「戸主相続人に自ら固有の相続分に5割を加算」されることとなった。この規定は1990年の3次民法改正で廃止された。なお、相続慣行としての長男優待については、たとえば3人兄弟ならば、長男50%、次三男各25%が通例という(竹田旦1994)。

 宮嶋博史(1995)「両班」によれば、中国では古来男子均分相続が慣行であったのに対して、16世紀までの朝鮮では、娘にも奴婢や農地を均等に分ける男女均分相続が支配的であった。ところが、17世紀後半から18世紀にかけ、農村エリートの在地両班層の相続制度は、「男女均分相続→男子均分相続→長男優待相続」と大きく変化した。こうした変化は、朱子学の普及によるものと考えられてきたが、「相続制度の変化がはじまるのが、朱子学を国教として受容してから2世紀以上も後のことであることを考えれば、朱子学の普及を相続制度変化の原因と見ることには無理がある。」(p.170)むしろ、財産規模の変動がこうした変化をもたらしたとされる。また本来の儒教で前提とされた男子均分相続をさらに超えて長男優待相続にまで達したのは、小中華思想などにも見られる中国思想の影響に関する韓国特有のまさに朱に交われば赤くなるともいうべき特徴なのである。

 邑(地方都市)に住む郷吏層の一部が農村部に移住し、奴婢を使いながらさかんに農地開発を行って在地両班層が形成されていく過程では、経済力とともに中央政界との政治的なつながりを強化する上からも、血族だけでなく姻族系のネットワークを拡大できる男女均分相続は一定の合理性があったと思われる。ところが、農地開発のブームが一段落し、財産規模の拡大が停滞ないし縮小の傾向に転じると、男子均分相続や男子優待相続へと転換して行かざるを得なかったのである。

 一方、18世紀に入って農地開発の面的拡大が終焉すると、小農層が幅広く形成されてくる。「16、17世紀頃までの在地両班層の農地経営においては、奴婢を用いた直営地経営が大きな比重を占めていたのであるが、集約化の進展についれて、こうした直営地経営が次第に縮小していく(中略)そして実際に農業経営の責任は、両班から土地を借り入れる佃戸=小作農がになうようになる。(中略)下層両班・常民・奴婢の身分を問わず、農村住民の多くが小農として、次第に均質的な存在になっていく」(p.204〜205)それと同時に、一人世帯も多かった常民身分や賤民身分でも家族世帯がほとんどとなってくる(p.206)。

 こうした動きの中で、一般農民層においても「家の永続性の強化」(p.203)が実現し、それを前提に、18、19世紀には、かつては両班層の証としてされた族譜(一族の系譜書)の編纂が両班層以外にも広がって行った。すなわち「家の連続性、永続性が一般農民の間にも現実のものとなることによって、はじめて彼らの間にも祖先観念や、共通の祖先を有する者同士の同族意識も形成されてくることになる。」(p.208)この結果、「郷吏層からはじまってより下層へと、両班的な価値観・生活理念が次第に拡散されていった」(p.203)のである。かくして、朱子学的な生活態度や長男優待相続制度も広く庶民にまで普及していったわけである。すなわち儒教的な性格が国民的になったのは、たかだか18世紀以降のことなのである。

 日本の近世農村でも、大石慎三郎(1968)によれば、長子相続を志向するようになったのは、後期に本百姓の階層分化の末に誕生した村方地主がさらに数村にまでまたがるまでに巨大化した寄生地主からであって、それは、「分家して土地を減らすことをさけ、むしろ逆に圧倒的な大土地所有と富の力で領主との関係を強化し(中略)寄生地主の地位を強化」するためなのである。そして、寄生地主の長子単独相続という形態が明治民法にうけつがれたとされる。本百姓は、共同作業や領主との対応のため、また村方地主は、小作料の安定収取に向けた村落秩序の掌握のために、同族団形成に役立つ分割相続がむしろ望ましかったのである。法制史的には、近世後半に普及した長男単独相続は、封建秩序安定のため定着した近世武士層の長子相続制が農民にまで及んだためという理解が一般的かと思うが、大石は宮嶋と同じように経済的背景を重視しているわけである。

【コラム2】中国における老親に対する食事の世話の方式

 財産が息子の間で均分に相続されてきた中国には老親の食事の世話について、2つの方式が以前よりあった。1つは「養老糧」、1つは「輪流管飯」である。「養老糧」は息子の一人と同居する老親に対して、同居の息子以外が穀物(食費)を持ち寄り、同居の息子は炊事を担当するというもの。「輪流管飯」は分家後、父母が息子夫婦に5日以下程度づつの輪番で食事の世話を受けるというもの。この場合、父母は別居している場合も息子の一人と同居している場合もあり、食事は父母が息子らの家に食べに行く場合もあれば、息子らが父母の住む家に食事を届ける場合もある。

 中華人民共和国建国後の2つの大きな社会変動、すなわち1958年以降の農業の集団化、そして1978年以降の責任生産制の導入を経ても、子女が親を扶養するという基本線は変わらなかった。核家族化、男女同権、一人っ子の増加の中でも考え方は変わっていない。1982年の文献によると湖北省の3県247人に対する望ましい養老方式に関するアンケート結果では、

1.父母と息子夫婦らが同居 38.05%
2.父母のみで住み子供らが生活費を提供 37.94%
3.輪流喫飯(輪流管飯と同じ) 20.24%
4.父母と一組の子ども夫婦が同居し他の子女が生活費を提供 6.48%
5.その他 0.81%

となっている。「養老糧」は4.と見られるが、一人っ子の場合は1.となる。

 以上、西澤治彦(2009)第2部第5章による。

 社会人類学者の中根千枝(1977)は、インドや中国など兄弟の連帯が社会組織として重視される大家族制社会で、大家族が分裂して既婚の兄弟が独立した家に住んだ場合の老親扶養方式の最も発達した例として「輪流管飯」を位置づけている。「息子たちが交代で一定期間ずつ親の世話をするわけです。なかには、そのやり方がシステムとしてたいへん発達していて、たんに期間を公平にするだけでなく、親の世話の仕方や食事の内容までスタンダードがきめられており、まったく公平におこなわれたりしています。」(p.141)

 そして、家制度が伝統だった日本では、長男以外の兄弟は「生家とは独立のつよい単位を形成しています」ので「親の家を頻繁に訪ねるという習慣が発達しませんでした」(p.138〜140)。従って、「日本でこの方式をとったりしますと、親は落ち着きませんし、「親をたらいまわしにする」などといって、親不孝のように受け取られがちです」(p.141)と付け加えている。

*参考文献

・大石慎三郎(1968)「近世村落の構造と家制度 」お茶の水書房
・崔達坤(2003)「韓国法の特色−家族法を中心にして(最終回)」LEC東京リーガルマインド『法律文化』2003年5月号
・竹田旦(1994)「韓国家族における嫁と姑」(比較家族史学会監修「縁組と女性―家と家のはざまで (シリーズ比較家族第1期) 」早稲田大学出版部)
・中根千枝(1977)「家族を中心とした人間関係 」講談社学術文庫
・西澤治彦(2009)「中国食事文化の研究―食をめぐる家族と社会の歴史人類学 」風響社
・宮嶋博史(1995)「両班(ヤンバン)―李朝社会の特権階層 」中公新書

(2011年1月17日収録、8月25日コメント追加、2013年8月15日コラム1追加、2014年5月21日中根千枝引用追加)


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